Mar 12, 2006

T-1と橘花

日本最初の国産量産ジェット機T-1が、この3月2日に飛行開発実験団の所属機(T-1B/05-5810)の最終飛行が終って、遂に全機引退となった。

この機体の開発・製造を担当したのは、富士重工業。
本命と思われたのは新三菱重工だったが、F-86のライセンス生産による多忙を理由に辞退(一説には航空技術の裾野を広げるために非公式に防衛庁側が辞退するように申し入れたともいう)。川崎、新明和との競争に勝って富士重が受注している。
富士重といえば、戦前の中島飛行機。
中島といえば、日本最初のジェット機・終戦直前に初飛行した橘花を担当した会社。
ここに縁を感じないわけにはいかない。

同じ会社の開発とあって、T-1の技術者は橘花や彩雲に関わった技師が多い。そのため、胴体の断面形状、前脚の設計、主翼・尾翼の設計(Kシリーズ層流翼)と設計に共通点というか系譜が見られる。
だが、なによりも運命的なのは、橘花のテストパイロットだった海軍横須賀航空隊実験担当・高岡迪海軍少佐が、T-1においても初飛行のパイロットを務めた(航空自衛隊実験航空隊・一佐)ということだろう。
このテストフライトで、高岡一佐は何を思って操縦桿を握ったのであろうか……

してみると、このT-1というのは、単に日本航空界10年の空白が明けたというだけではなく、橘花の直系であり、戦前の日本航空技術と戦後の日本航空技術をブリッジする存在だった。
それが引退したということは、日本の戦後の一つの終わりを示しているのかもしれない。

Dec 09, 2005

開戦記念日

日付が変わってしまったが、12月8日は64回目の大東亜戦争開戦記念日である。

私のような世代からすれば、歴史上の出来事だが、未だ日本人の平均寿命より短い年月しかたっていない。
平成16年現在、男性が78.6歳、女性が85.6歳だから、まだまだ多くの人が戦前生まれであり、また、戦争の記憶をもっていることになる。
が、軍人経験者となると、既に平均年齢を超えている。
戦友会なども維持できなくなり、次々と解散している。
本来ならば、自衛隊のOB組織と合流して一貫した“退役軍人会”にできればよいのだが、自衛隊が軍隊ではないという建前上、それも不可能だ。

時期的に考えれば、この数年が“前線”“戦地”経験者の声を聞くことのできる最後の時期となろう。
私のような戦後生まれの人間は、どこかで「最後の帝國陸海軍軍人」を見送らねばならない。
せめて、そうならないうちに、彼らの、今まで黙殺されていた声を拾い上げていかねばいけないだろう。

そうした声を、今、最も手軽に入手できるのは、光人社/潮書房の雑誌「丸」だろう。
ミリタリ少年入門編として有名な本で、最近では分量も減ってしまったようだが、必ず旧軍人・軍属の手記が乗っている。少し大きな本屋でなら取り扱っており、知らなかった方は一度、手にして見てはどうだろうか。

Jul 14, 2005

時代は変わる

首都圏のテロ対処、北海道・陸自が移動訓練(読売新聞7月11日 = YOMIURI ONLINE)

冷戦の華やかりし頃には首都圏の部隊を北海道に移動させていたものだが、今では逆になってしまった。
時代はかわるものだ。

ところで、このテロ対処で移動訓練というのは、今ひとつ腑に落ちない。
いわゆる「テロ」として想起されるのは、先のロンドンでのテロのようなものだろう。
しかし、それならば陸自部隊を動かしても意味がない。
であるならば、想定している事態は、テロといっても特殊部隊の潜入や工作員の蜂起といった準軍事的な事態であろう。
今の日本に対して、そのような行動をとる勢力は──自明である。
その日に向けての想定と対応が、確実に政府レベルで行われている証左であろう。

Jun 24, 2005

「日本唯一の地上戦」という嘘

今年も沖縄慰霊の日がやってきた。
昭和20年6月23日、帝國陸軍第32軍司令官(=沖縄防衛司令官)の牛島満中将が自決し、組織的抵抗が終ったとされている日だ。
沖縄戦で犠牲となった多くの敵味方将兵、日本民間人に深い哀悼の意を捧げるものである。

ところで、沖縄戦を語る際に、「日本唯一の地上戦」という言葉が枕詞のようにつくことが多い。
しかし、これは嘘だ。

沖縄戦に先立つ昭和20年2月19日から始まった硫黄島戦が、日本の国土が地上戦の舞台となった最初である。
民間人こそあらかじめ避難させてはいたが、小笠原諸島であり、日本国土であることはいうまでもないだろう。

また、当時、日本領であった千島列島には、昭和20年8月18日に占守島にソ連軍が米供与の上陸用舟艇で奇襲上陸し、20日に停戦するまでの間、戦闘が行われている。
同様に、当時、日本領である南樺太も8月11日からソ連軍が侵攻開始。8月20日には、真岡市(ホルムスク)にソ連軍が上陸。逃げる一般市民に銃火を浴びせ、反撃する日本軍と戦闘となり、25日まで続いている。

沖縄戦についていえるのは「現日本領で住民を多く巻き込んで地上戦が行われた唯一の戦い」というだけだ。
「日本唯一の地上戦」ということさら悲惨さを強調するための“嘘”は、もうやめにしてもらいたい。




[PR]ްpi͂܂Ђ:qĂyȂ֗тς