Sep 12, 2006
9.11
私事、忙しくてなかなか更新できずに失礼。
この間、小泉首相が終戦記念日に靖国神社参拝を断行したことは、英断であり、今後のアジア外交に大きな一歩を記したといえる出来事だった。
小泉首相の政策を全て支持しているわけではないが、この件をはじめとする外交には大きな評価を与えたい。理論で導いたのか、直感で導いたかなんてのはどうでもよく、結果論である。
また、先日は秋篠宮殿下に新宮様がご誕生という慶事もあった。
小泉首相の政策で支持できないものの一つ、皇室典範改正(女系天皇)問題が、これで綺麗に吹き飛んだ。
ある程度の偶然が作用する問題であり、天皇家二六〇〇年(とここではいっておこう)の神秘を見た想いである。
さて、今回の主題は9.11テロについて。
といっても、特に結論はないのだが、今思っている雑感を纏めたエントリである。
あれから、もう5年もたったのかというのが正直なところ。
そして、この9.11テロは、地下鉄サリン事件と並んでテロ史に名を刻んだ事件だったといえる。
この両テロは似通った部分がある。
非常に多数の一般市民を巻き込んだという点。
そして、そのために、非常に高度な専門知識を動員したということだ。
それまで、テロの手段としては、銃器・爆発物・刃物などが使用され、これらを早期に発見し、持ち込ませないことが対テロ方策だったとえいる。
しかし、地下鉄サリン事件では、毒ガス生成という専門的な知識が動員され、治安当局が全くノーマークな凶器が使用された。
そして、9.11では、凶器を飛行機そのものとし、テロ実行犯自体はテロ本体実行のための凶器は持ち込んでいない。
よって、9.11以降、テロ対策とは人対策となった。
米英などが人権侵害、人種差別と非難され、誤認を繰り返しながらも、“テロ容疑者”を拘束し続けるのは、武器をおさえることでテロを防ぐことができないから、人を抑えるしかなくなったからである。
そして、強引な手法であっても、見逃してテロが発生するよりはマシ、という彼らなりのバランス感覚が働いているのだ。
これは善悪の問題ではない。実際にトラウマになるようなテロ攻撃を受けた結果の恐怖心であるといえるし、この「バランス論」を否定するなら、相応の理屈を用意する必要があろう(余談だが、イスラエルのパレスチナ侵攻も同じタームで語れると私は思っている)。
それにしても5年前。
生中継の画面を見ていたことを思い出す。
当初は遊覧飛行中の小型機でも突入したのかと思ったが、明らかにそんな規模でない破壊が生じていた、WTC。
どうなっているのかと、凝視していたら、突如、フレームインしてきた中型旅客機がビルに吸い込まれていった、あの衝撃は忘れられない。
ベクトルは全く異なるが、アポロの月面着陸シーンやケネディ暗殺映像などをリアルタイムに見たのと(ケネディ暗殺はリアルタイムではないが、他のメディアに露出する前、予備情報なしに初見だったということで)同じ衝撃だったのではないかと思う。
私は、おそらくこの衝撃を忘れることはできないだろう。
そして、きっと同じ映像を見ていた多くの人もそうであろうだろう。
この映像をリアルタイムで見ていたかどうかが、世代の分かれ目になるような、そんな衝撃だった。
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