Jan 22, 2006
とりあげるのも阿呆らしい
毎日新聞のコラムで、こんな記事があった
考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争
……えーと、もういろいろツッコミどころありすぎ。
お金を出してサービスをうけることは商行為として当然ではある。しかし、だから感謝しなくていいという考えはおかしい。世の中には、例えお金をいくらつんでも満足な食事にもありつけない地域はいくらでもある。お金を払うだけでサービスを受けれること、それだけにでも感謝しなくてはいけない。
宗教的、という言葉を建前になんでも許されるのであれば、法に触れさえしなければ何をしてもいいということか?
宗教を理由に許されるのであれば、オウム真理教の道場を家の隣につくられても反対すべきではないし、霊感商法も非難してはならない。また、愛人が発覚した政治家もイスラム教を信仰しているのであれば責めてもいけない。
宗教というものと、道徳は別問題だ。
そして、この記事の中で最も気になるのは、「いただきます」の対象があまりに狭いということだ。少なくとも記事でとりあげられているのは、「食べる人」と「調理者」だけしか語られていない。
しかし、そのお金をもたらしてくれたのは誰か。その場を提供してくれたのは誰か。その食材をそこまでもってきてくれたのは誰か。その食材を育てた、捕獲したのは誰か。
そして、その食材を生み出してくれた、この世界。そうした全てのことへの感謝の思いが「いただきます」に入っている筈だ。
お金さえ出せばなんでも解決するなどと思っているから、金を出してるから感謝する必要がないなどというたわけた言動が出てくるのだろう。
最後に、同じ毎日新聞からと結ぶコラムを紹介しておこう。
裏庭のコッコちゃん=小林洋子
『「いただきます」の意味を噛(か)みしめよ!』
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