Jul 26, 2005
『談合』は悪いか?
日本道路公団の現役副総裁が逮捕されるなど、度々、ニュースを賑わす『談合』。
これが悪いことか? といわれれば「悪い」とは答える。なぜなら、法を犯しているからだ。
だが、ただ「悪い」というだけでは、談合がなぜなくならないかということが見えなくなる。なにせ、古くは水利権の話し合いに祖をもつといわれるくらい、綿々と続いてきたことなのだ。
談合の「罪」については、いまさら私が語るまでもないので、「功」について少し考えてみたい(ただし、今回の論は建築業についてのみ)。
談合のもっともわかりやすい「功」は、参加企業が「得」をするということだ。値段で叩き合うことなく、利益幅を確保することができる。
だが、それだけでは、今回のように発注側の道路公団まで談合に加担した理由がわからなくなくなるだろう。
もちろん、天下りの確保という事実はある。
しかし、本質には建築業界の見積もり作業の困難さという問題があるのだ。
前田建設ファンタジー営業部などを見ると、建築業界の見積作業の一端が見えると思うが、とにかく見積作業に工数がかかる。大きな工事になれば、見積作業のために徹夜などザラにあるものだ。
この工数は、すなわちコストとなる。見積の金額に上乗せしなくてはならない。
が、その時の入札がとれなければ、見積コストは回収できなくなる。となると、次の入札の見積に、そのコストを加えなくてはならない。
仮に、10社で入札をしていたとしよう。単純計算で、10回に1回しか受注できなくなる。となると、1回の受注に10回分の見積金額が上乗せされることになり、見積金額が高くなるだけでなく(発注業者側の損)、高くなっても利益は増えない(受注業者側の損)という結果を招く。
それならば、見積をせずに辞退すればいい、という意見もあろう。
だが、辞退してしまうと、「辞退したという実績」になってしまい、以後の入札で不利になってしまうのだ。
ならば、見積をきちんとせずに適当な値段でわざと失注すれば……という意見も出るだろう。だが、これもあまり適当で高値だと、以後の入札に関わるし、まかりまちがって、とれてしまったりしたら、きちんと見積をしていなかっただけに大変な事になる。
そんなわけで、適当にするにしても、金額の「あたり」をつける必要が出てくる。となると、とりたいと思って、きちんと見積をしている企業に連絡をとり、大体の値段を教えてもらい、それよりちょっと高い金額をつければいい、ということになっていく。
これこそ、談合だ。
結局、談合は最低の金額にはならないが、それなりの金額での入札となり、発注側も入札側もそれなりに満足が得られるという結果を導いている。 だからこそ、談合はなくならないのだ。
談合については、他にも指名入札や落札最低金額の問題などもあるのだが、長くなるのでまた別の機会があれば、その時にでも。
いずれにせよ、ただ「悪い」「悪い」と批判するだけでは、何も進展しない。もっと深く切り込んでいかなければ、談合がなくなるどころか、縮小されることもないだろう。
writeback message: