Apr 26, 2005
福知山線事故での報道
25日に発生した、JR西日本・福知山線の事故は、現在でも救出活動が続いており、多数の死傷者を出す大惨事となった。 犠牲者、遺族の方々には、心からお悔やみ申し上げます。 また、被害にあわれた方の一日も早いご回復をお祈りいたします。
この事故は、日本鉄道史上でも最大規模の事故であり、報道も多くの時間を割いている。しかし、特にTV報道において、疑問が残る点が多々ある。
それを列挙していきたい。
■JR西日本社長会見での罵声
JR西日本社長の会見の際、会社側が「原因は不明」「これから調査する」と答えたことに対し、「人が死んでいるのに、わからないとは何だ」というような罵声が記者の間からおき、それが録画でも放送された。
初期の段階で、事故の原因がわからなくても当たり前であるし、至極単純な図式(脱線であれば、車との接触など)以外では主因と考えられるものがあっても、軽々しくこたえられないのが責任者として当然であろう。
ましてや、あの段階では、原因究明より救出を優先すべき段階である。
■JR西日本社員への罵倒
病院に見舞と謝罪に訪れたJR西日本社員を、マスコミ陣が取り囲み、「謝罪をする気が本当にあるのか」などと罵倒するような光景があった。
被害者とその関係者なら罵声を浴びせる権利もあろう。
先の社長会見での罵声もそうだが、いつから、マスコミはそんなに偉くなったのか?
彼らの仕事は報道であり、自らの価値観で人を裁くことではないはずだ。
JR西日本という会社の社員として社会的責任はあるが(だからこそ病院にいっているわけだが)、その社員の人間性まで攻撃する権利などマスコミにはない。
TV朝日では「取り乱す社員」というキャプションで、JR西日本の社員がマスコミに対して「謝罪をとにかく優先させてくれ。誠心誠意、謝ろうとしているのを邪魔しないでほしい」と涙ながらに発言するシーンが放送された。しかし、これは取り乱しているというよりも、当然の発言であり、マスコミへの明確な抗議だ。これを“取り乱す”などとレッテル張りするのは、マスコミの傲慢以外のなにものでもない。
■JR西日本社長への罵声
遺体安置所を訪れた社長が出てくるところをマスコミが取り囲み、「責任をとらないのか」などと、またも罵声をあびせた。
しかし、事故原因がはっきりしない上、救出を急ぐ段階であることはいうまでもない。
ましてや、責任の取り方は、本人(会社)が決めるものであり、それを評価するのは被害者、犠牲者の遺族、そして世間だ。マスコミが決めるものではないだろう。
ここれでも、マスコミの傲慢さが見て取れる。
■運転士への“犯人”扱い
運転士の速度超過は事実としても、それが事故の主因であるとも断定できない。
かなり初期の段階から、運転士を犯人扱いするような報道が目立ち、また、彼を未熟な(あるいは劣悪な)運転士と断定するような報道が多い。
結果的に彼の運転ミスが事故の主因だったとしても、それは事故原因がはっきりしてから論じられるべきだ。マスコミが勝手に“犯人”をつくりあげていいわけではない。
ここまであげつらっておいて、もし、主因が運転以外だった場合、“報道被害”に対して責任をとる覚悟がマスコミにはあるのか?
■軽量車両への批判
今回の事故を大きくしたのは、JRが効率重視で構造が弱い軽量車両を導入したからだという論調がある。これは、あまりに結果論的、皮相的見方であろう。
仮に、もっと重量のある車両だった場合、当然ながら、エネルギー量は多くなる。
となれば、マンションへの激突の衝撃は増すし、後続車両の行き足も増す。より多くの車両が重なり合っていた可能性がある。また、その場合、マンション自体に与えるダメージが大きなるのだから、深刻なダメージとなっていた可能性もあるだろう。
付け加えていうならば、軽量であるということは、ブレーキがききやすいということでもある。となると、それがゆえに事故に至らなかったケースなどもあるはずだ。
“重ければいい”は、あまりに単純すぎる論法ではないか。
また、軽量ゆえに側面衝突への強度が脆いという批判も納得できない。
電車のような長方形なものは、どうしても、側面からの衝撃には弱くなる。これはどんな材質の車体でも同じだ。
過去の日本の鉄道事故を振り返った場合、最大級の死者を出しているのは、昭和15年の安治川口駅ガソリンカー横転火災事故(死者189人)、昭和26年の桜木町駅国電火災(死者106人)などの火災事故、昭和22年の八高線列車転覆事故(速度超過・不十分な保線による脱線転覆・築堤から転落、死者105人)、また、大きな事故という意味では昭和61年の余部鉄橋落下事故(突風により鉄橋から40m下の地面へ車両が転落。死者6人)というのがあるが、これらは車体強度はあまり関係ない。
衝突事故では、昭和38年の国鉄鶴見事故(競合脱線・転覆した貨物列車への電車激突。死者161人)、昭和37年の三河島事故(信号誤認で脱線・転覆した貨物機関車への電車二重激突。死者160人)、平成3年の信楽鉄道衝突事故(信楽高原鉄道での正面衝突。死者42人)、昭和63年のJR東中野駅追突事故(停車中の電車に後続電車衝突、死者2名)などがあげられるが、いずれも衝突は正面からのものである。
例外は、平成12年の営団日比谷線中目黒駅衝突事故(死者5人)で、この時は脱線した電車が対向電車の側面をえぐりとるような形で衝突している。ただ、この事故でも、側面からの衝突というよりは、オフセット衝突に近い形であり、問題なった強度は、どちらかといえば外板そのものの強度論に近いものだった。電車の構造体として側面衝突強度は問題になっていない。
このことから、車体正面強度を重視する一方、側面は特に衝突を考慮しなかったことは、理屈と経験則がある。
「側面強度を軽視している」というのは、あまりに結果論的で後付の非難ではないだろうか。
以上、今回、私が報道で疑問に残る点を列挙してみた。
報道が事実を伝えるのではなく、「悪者」を仕立て上げて、人民裁判をするような形となっていることを大きく危惧する。
ここからは今回の事故について、マスコミ報道について以外の私見。
今回の事故原因は速度超過があったのは事実だろうが、それだけではない、複合要因ではないかと思う。単に速度超過での脱線なら、いきなり転覆する可能性が高いからだ。日比谷線事故でも主因となったせりあがりの問題や、置石、保線状況などを仔細に検討する必要があろう。
上記ではマスコミの運転士犯人扱いを批判したが、JR西日本が置石をことさら強調するような姿勢も批判に値する。なにか、責任回避をしようとしているようにしかみえない。原因はまだ不明なのだ。
また、側面強度の問題も、今まで考えられていなかったのはやむをえないが、今後は考えていく必要があるかもしれない。過密都市での過密ダイヤという世界的には特殊状況・日本では日常状況という状態下の脱線事故では、周囲の構造物と衝突するという可能性があるということが示されたのであるから。
最後に。
今回の救助体制は、阪神大震災の教訓がいかされていたように思う。
救助の優先付け、消防・自衛隊の自治体からの出動要請(自衛隊が事故で災害派遣を行うのは航空機事故以外では異例だろう)、病院での受け入れ・診療体制(負傷者の首からさげる形の簡易カルテや、ホワイトボードの活用、優先付け)。
そして、公的機関以外の多くの民間の人々の救助活動。
悲しい記憶ではあるが、単にそれだけにとどめなかったことを素晴らしいと思う。
そして、事故救助に関わった、関わっている全ての人に敬意を。
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