Mar 17, 2005
東武線踏切事故に思う
15日、東武伊勢崎線竹ノ塚駅付近の手動踏切で、係員が誤って遮断機を開けてしまい4人が死傷するという事故が発生した。
これに関する報道について、操作について内規違反があったと報道されている。
しかし、接近警告(「電車運行連動盤」というらしい)を無視して遮断機をあげたり、警報音を切っていたことなどについて、この係員を責めるのは酷というものだろう(責任がない、と言っているわけではない。心情的な問題)。
いずれも、地域住民のために、少しでも開ける時間を長くしたい、音を静かにしたいという“親切心”が仇となったのだろうことは、容易に想像がつくからだ。
実際、「開かずの踏切」状態になっている時に、長時間待たされている一般人が、詰め所の係員に詰め寄るというようなシーンが度々あったという報道もされている。
また、早期に高架化すべきだったという論もあるが、それも物事を一面的に捉えすぎてはいないか。
高架化に伴う莫大な工事費はおいそれと捻出できるものではない。特にこの竹ノ塚では、車庫があるため、大規模な工事となる。東武鉄道は3期前には単独・連結とも最終利益が赤字となり、グループでリストラを行ったような財務状況だ。
公益性があるとはいえ(だからこそおいそれと赤字路線を廃止できないわけだが)、鉄道会社は営利企業であり株式会社。健全な経営を圧迫してまで工事するというわけにもいくまい。
特に、高架化では「ここだけ」を高架にすることはできず、前後の区間を含めた工事が必要となる。そうなると、小田急電鉄の高架化工事に住民側が訴訟をおこしたように、必ずしも住民の賛成が得られるとも限らない。
つまるところ、この事故は一係員や東武鉄道だけの問題にするのは矮小化ではないだろうか。 根本的な問題は東京という都市の密集度が飽和状態にあり、都市機能不全を起こしているという広い文脈でとらえるべきだろう。 ミクロな視点からだけでなく、マクロな視点から問題解決にとりくまなくては、この踏切での次の事故は防げたとしても、別の場所で事故がおきるだけではないだろうか。
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