Jan 13, 2005

青色LED訴訟・中村氏の主張には納得できない

青色LEDの特許問題(中村氏が“発明”した青色LEDについて、会社側に発明対価の支払いを求めた訴訟)が和解した。青色LED訴訟 8.4億円で和解 本人貢献度は5% 高裁勧告受け入れ(産経新聞1月12日=goo news)ということだが、「腐った司法に怒り心頭」 中村教授、帰国し批判会見(共同通信1月12日=goo news)とあるように、中村氏は納得していないようだ。 だが、私は中村氏の主張にも納得できない。

話の発端は、中村氏が日亜化学工業(株)に在籍中、当時、実現が困難といわれていた青色LEDの開発に成功したことにはじまる。 この“発明”は会社業務としてのものだとされ、特許は日亜が保有。中村氏には発明報償金が支払われた。この金額が不当に低いということで、訴訟に至ったということになる。
もちろん、既に中村氏は退社しているが、ここまで話がこじれたことに日亜と中村氏の(訴訟に至る以前からの)確執は承知しているし、日亜の対応にも疑問はある。 が、中村修二氏が、日亜化学との和解勧告直前の心境を語った(日経BP 12月27日)にあるように、中村氏の主張は対日亜の個別のものではなく、発明に対する普遍的なものとしているので、その事情は勘案しないこととする。

まず、日亜の決算を見ると、2003年12月決算は、売上高1,811億円、経常利益948億円、最終利益545億円とある。
利益率や成長率も見ると、青色LED及びその応用技術が会社利益に大きく貢献していることは間違いない。が、一審判決で示された200億円という支払い命令は、払えない金額ではないだろうが、最終利益の3割以上に相当するで、莫大な金額であることもわかる。

確かに青色LEDを単独だけでとりあげれば、そういう算出もできよう。
しかし、メーカーは成功する研究開発だけを行っているわけではない。
成功した研究を頂点とすれば、多数の失敗した(利益を生まなかったという意味だ)研究が底辺にある。そして、研究のための投資は、先人の成功した研究により得られたものでもある。
そうした多くの研究があったからこそ、青色LEDを生み出す研究ができたのだ。
逆にいえば、一つの成功した発明による利益を、他の研究に再配分するという構造によってはじめて継続的な企業での研究開発ができるということである。
中村氏の主張と一審判決からは、そうした観点が抜け落ちている。

そして、“発明”は、それ単体で利益をあげるものとは限らない。
今回でいえば、改良し、量産技術を確立し、営業し、生産管理し、販売管理しといった中村氏以外の人間の貢献もあったはずだ。
中村氏はそうした貢献には触れられておらず、青色LEDによる会社の利益は全て自分の功績であるかのようにしか主張されていない。
更に中村氏は「文系社会だ」と批難するが、ならば、典型的な文系業種である管理部門や営業部門は、たとえ訴訟を行おうとも億単位の金を手にできるというのだろうか?
自分の主張が通らなかったことによる「ためにする非難」にしかうけとれない。

そして、中村氏は「会社命令に背いて研究開発だから発明は個人業績だ」というような主張をしているが、これもおかしい。
「会社命令に背いた研究開発」は、会社のインフラを用いて行ったのではないのか。会社の業務時間に行われ、それに対して給与も支払われているのではないのか。あるいは、その間、“会社命令の研究開発”は同僚の研究者が肩代わりしてくれていたのではないのか。
中村氏は「アメリカでは~」と主張するが、契約社会であるアメリカで、会社命令に背いた研究開発を行っていれば、すぐにクビになるだろう。
日本的な雇用形態だからこそ、会社に残り、会社命令に背いた研究開発を続けることができたといえよう。
つまり、業務命令には背いたかもしれないが、あくまで企業の雇用下での研究開発としか私には捉えられない。

中村氏は「スポーツ選手は何億円も稼ぐのに」というが、スポーツ選手は成績が悪ければ若くして解雇もされる。ハイリスク・ハイリターンの中で生きている。
しかし、中村氏は、サラリーマンとして保障された中での研究開発というローリスクの中にいた。それでハイリターンを求めるのは筋違いではないか。
会社をやめ、ベンチャー企業をおこすなどして、ハイリスクの中に身をおけば、いくらでもハイリターンの可能性はあった筈だ。
結論的にいえば、中村氏の主張は、ローリスク・ハイリターンを求める都合のいいものにしか私には聞こえない。

ただし、いわゆる「発明対価」をはじめとする知的財産に対する評価、報酬について、現行のものが十分だとは私も思っていない。
知的財産立国を目指すというのであれば、法改正をはじめとして、十分な評価・報酬を行う仕組を整える必要もあるだろう。

余談。
中村氏が言う「高裁は山ほど提出した書面をまるで読まず、最初から和解金額を決めていた。これで正義の判断といえますか」というのも納得できない。
まず、民事裁判は(一般用語でいう)正義を判断するものではない。当事者間の紛争を法に基づき解決するものでしかない。
また、書面を読んでいなどと裁判所を非難しているが、これは、単に自分の主張が通らなかったことで、裁判所(裁判官)を誹謗しているようにしか思えない。書面をよまなかったという合理的な論拠でもあるのだろうか?
理系の割には、全く非論理的だ。

Posted at 10:49 in 社会 | WriteBacks ()
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