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Dec 24, 2004

価値観の優先順位

少年ら女子高生殺害 千葉県警、4人逮捕 バッグ強奪、発覚恐れ(産経新聞12月24日=Goo News)という事件が発生した。
動機として「強盗がばれるといやなので殺害した」と供述しているというが、これが本当だとすれば、現在の教育の問題点を浮き彫りにしている。
なぜならば、彼らは、殺人を犯すより、いわゆる“ひったくり”程度(というと語弊はあるが)の犯罪の発覚のほうが自分達にとって、より忌避すべき事として捉えているということだからだ。

一般常識的に考えれば、それは逆である。ひったくりの発覚をおそれることは、殺人の動機にまでならない。
彼らの価値観では、自分達のひったくりを隠すことのほうが、殺人よりも優先順位が高い。どうしてこんなことになってしまったのかと考えれば、記事中のコメントにもあるように、『モラル教育が著しく低下したこと』にあるように思われる。更に私は家庭だけでなく学校教育におけるそれを指摘したい。
すなわち、『個』を大事にする教育、とされてきたものが、その実、『自分だけ』を優先する教育になっているということだ。
公に対する意識、社会への感謝の念、先達者達への畏敬。そういった単純な事、あるいは伝統的な価値観が、『軍国主義につながる』というようなわけのわからない理屈により学校教育で疎かに(極端な場合は否定)されてきた結果だということだ。
世代的にも、今回の犯人を教育してきた世代は(教師でも親でも)70年安保世代にあたる。安保闘争という名の騒乱の総括──民主主義国家でありながら、不法な暴力闘争で多数の破壊を行い、死傷者を出したにもかかわらず、社会変革はできず、また理想にすえた社会主義・共産主義はソ連・東欧の崩壊という形で否定された。結果として、安保闘争は『失敗』であり、“大人たち”の選択が日本にとってベターであったという事実を認めるという行為をしていない。
もっと先鋭化して表現すれば、「自分達が正義で、間違っているのは社会。目的が正義であれば、手段としての暴力・不法行為はやむなし」ということに「反省」がないということになる。最近では「目的は正しかったが手段が間違っていた」などという論も若干きかれるようになったが、但し書きをつけること自体、本当には反省していない証拠だろう。

閑話休題。前記については、そのうちまとまったエントリをつくろう。
ともあれ、道徳、公と私、権利と義務といった教育の強化は必須であり、急務だ。

Posted at 10:07 in 社会 | WriteBacks ()
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