Oct 26, 2004
安全神話とは何か?
新潟県中越地震により、新幹線が営業運転中にはじめて脱線した(過去に回送中の新幹線が切り替わっていないポイントに突っ込み、脱線したことがある)。 これにより、新幹線の安全神話が揺らいだとする声がある。
・新潟中越地震――新幹線、脱線の衝撃(朝日新聞10月25日社説)
・[新幹線の安全]「地震対策を再点検しなくては」(読売新聞10月26日社説)
これらは、脱線したことと、橋脚の損傷などから「安全神話が揺らいだ」としている。
しかし、橋脚の損害のほとんどは表面のコンクリートの剥離である。これは、鉄筋保護と表面整形の役割が大きく、強度上はあまり影響のない部分だ。一部橋脚には深刻なダメージがあるようだが(脱線事故の上越新幹線、高架橋に深刻な被害判明(読売新聞10月25日))、JR東日本の「亀裂が入った橋脚は分散しており、橋げた全体の強度には問題はない」というコメントを私は支持する。
つまり、安全性とは、いついかなる時もダメージを受けないなどという非現実的なものではない。40年に一度の天災に対してダメージそのものを受けないなどという設計は技術上も困難であるし、その莫大なコストは乗客に跳ね返ってくる。そうなれば経営そのものにも関わってくるだろう。
極論すれば、モノはいくら壊れてもいいから、人を守るというのが安全性だ。
今回、新幹線が脱線しながらも死傷者がでなかったのは“運がよかった”とするのは、その通りだろう。しかし、そこまでもっていった──いわば「人事を尽して天命を待つ」の人事をやり遂げているからこそ、その運による判定のレベルまでもっていけたのだと思う(例えば、急ブレーキ後脱線であるにも関わらず、団子状に車両が詰まったりはしていないのは技術力ゆえだ)。
もちろん、安全対策そのものは手厚いにこしたことはないのだが、実際問題として、震源付近では高速で走行している新幹線を安全に停止させることは難しい。
つまり、飛行機が常に墜落事故の危険が逃れられないように、新幹線も常に大地震による脱線(転覆)事故の危険からは逃れられない。
ただ、それを現実的なレベルで極小にしているということこそが“新幹線の安全神話”であり、それは今回の件でも証明されたと私は考える(→参考:産経抄(産経新聞10月26日))
追記(10/27)
新幹線脱線 さらなる安全策を講じよ(産経新聞10月27日社説)が私とほぼ同じ意見であった。曰く「これだけの大地震で列車が脱線してなお一・六キロも走って負傷者がゼロというのは、奇跡に近いといえよう。だが、手をこまねいていただけでは奇跡は起こらなかった。日々のたゆまぬ努力を重ねたわが国の鉄道技術の高さが奇跡を生んだのではないか。」
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