Oct 22, 2004
台風23号の猛威
台風の当り年である今年、23号がここ四半世紀で最悪の人的被害をもたらした。
被害拡大の要因としては、長雨と相次ぐ台風の襲来による降雨により、自然・人工の保水力が限界に達していたことがあげられるだろう。新たに降った分は、ほとんどそのまま地表を流れていったということだ。
だが、しばらくの間、台風で大きな被害が出ていなかったことが、慢心をもたらしてはいなかっただろうか? かつて、昭和34年の伊勢湾台風では五千人を超す死者・行方不明者が出た。その事が日本の台風防災を大きく前進させたという教訓があった。 しかし、昭和54年年台風20号を最後に百人を超えるような人的被害がでることはなくなっている。 台風で被害にあうのは運の悪い人、というくらいの感覚が蔓延していなかっただろうか?
今回も田畑などの見回り中に被災した方がいる。
気持ちは解るが、命と引き換えにするような事でないだろう。第一、激しい台風の中で異常を発見したとしても、対処できまい(→参考:産経抄[産経新聞10月22日])。
また、度々報道されている舞鶴の孤立バスにしても、なぜ、このような天気の中、移動を強行したのか。
ハード面を考えても、最近はダムが環境破壊の面ばかりから語られれているが、治水、すなわち防災では大きな役割を担っている。
批判が先行する大型土木事業だが、全国の堤防や砂防なども必要な場所はまだある。
つまるところ、防災戦略を立案しなおす必要がある。
ハード面では、どこまでを対象にするのか。
そして、どんなにハードを整備しても、費用対効果・技術上の問題などから、対応できない規模の天災が襲ってくる可能性はある。
「対応できない」というという事を明確にした上で、それに備えてどのようにして被害を最小限に食い止めるかというソフト面での確立。
これらが急務であろう。
従来、ソフト面は村社会で支えていた側面がある。
長老が、己の経験から危険を察知し、(自主)避難を勧告する。
どこにどのような人間がいるかは、普段のコミュニケーションで熟知。
お年寄りは、村の若者が手助け。
しかし、社会情勢の変化はこうしたソフトを維持できなくしている。
今後は、防災無線だけでなく、携帯電話やGPSなどが使えるエリアも広くなっているのだから、そうしたテクノロジーをとりいれつつ、防災については素人である市長の判断だけでなく、プロ(例えば警察・消防(団)・自衛隊など)側からアクションをおこすことを可能とし、それらを有機的に一元化して活用する態勢の確立が必要だ。
これも、日本では忘れられている危機管理の一環であろう。
wikieditish message: Ready to edit a entry.