Dec 19, 2005
運動における陰謀論
「陰謀論」という言葉を、ここでは「ある事象に対して、それを推進・引き起こしたのは、直接的に表にでてきない、ある団体(グループ)だと論じる」ことと定義する。
例えば「アメリカのイラク戦争はユダヤの陰謀だ」とかいうやつだ。
この陰謀論にはソースがある場合と、ない場合がある。
ソースがないまま、状況証拠と推測から積み上げていくと、世に言われるトンデモ本が出来上がる。もちろん、説得力のある推測(推論)ができるのであれあば、「日本の黒い霧」(松本清張)になるのだが。
一方、ある程度のソースが存在する場合がある。
「郵政民営化はアメリカが要望していた」というようなものだ。
この場合、陰謀論はある程度はあっているということになるが、どの程度の“影響力”があるのかはまた別途検討する必要はあるだろうが。
さて、ここで遡上にあげたいのは、後者の場合である。
少なくとも「積極的支持」を表明していれば、その事象は、その団体にとっては有利に働くものであるといえる。
そして、その団体が「よからぬ団体」である場合、その事象を実現することは、一般大衆にとってどうなのか? という疑念が沸くというのは当然だ。
これは、個人レベルでは十分な動機になる。
が、必ずしも社会レベルでの動機には足りえない。
前置きが長かったが、「人権擁護法案反対」を訴える人の中には「部落開放同盟が法案を支持しているからあやしい」というように法案支持団体を理由をあげる者もいる。
先にも述べたように、これは個人レベルでは反対の動機にするには十分だ。
また、自分と思想を同じくするもの──その団体について見方を同じくするものにとっては、動機付けすることができる。
だが、人権擁護法案反対を運動として広げていこうとするのであれば、政治や社会に対して特別に関心がない人を巻き込んでいかなければならない。
その時、「陰謀」を行っている団体は“一般人”にとって、脅威として捉えられている団体だろうか?
もし、捉えられていなければ、ある団体の誹謗中傷としてとらえられ、逆に法案成立に世論を傾かせかねないだろう。
あるいは、その団体がいくら“悪の団体”だったとしても、支持している事柄までもが“悪”であるとは限らない。
例えば、オウム真理教は世間的には“悪の団体”だが、彼らが主張する“信教の自由”は(自己防衛のための利己的動機であっても)保障されるべき事柄である。
また、暴力団(ヤクザ)はその儀式の形式として神道を用いる場合が多いが、だからといって神道が非難されるのはおかしいだろう。
人権擁護法案反対の声を広く一般市民に広げていこう、というのであれば、陰謀論を展開していくことはマイナスだ。
あくまで法案の中身に対する評価で、反対運動は広げていくべきだろう。
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