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Infoseek ޲٣

Nov 07, 2005

評論と運動論と理想

えー、飲みすぎには注意しましょう。
反省してます。
……と、前ふりはともかく表題の議論。

いってみれば、このブログは「評論」というカテゴリに属するのであろう。
こういう場合、筆者は、自分の「理想」を主張していけばよい。
政治評論という舞台では、「よりベターを選択する」という民主政治の観点からの「ベター」を論じることはあるが、それは、自分の「ベスト」に少しでも近づけようという意味でのベター論である。
なにか問題が生じている場合、それに対する解決案も、素直に自分の考えるものを表明していけばよい。
自分の理想を書き連ねることが許されるのが評論だといえる。

しかし、同じ課題を「運動」として扱う場合は話が異なる。
運動とはアピールであると同時にネゴシエーションでもある。
仮に「おとしどころ」があると思っていても、最初からそれを主張していては、考えていた「おとしどころ」より「相手側」で決着してしまうだろう。
だから、「運動」として展開する場合には、あえて強硬な主張をしていく必要がある。
ただ、あまりに強硬すぎてアピールすべき層に「引かれて」しまうと本末転倒だ。
ここが、成功する運動と失敗する運動の差になるのではないだろうか。

近年、右派による「運動」が盛り上がりはじめている。
しかし、長年「運動」を行ってきた所謂プロ市民に比較して、戦術的に劣る部分が多々見られる。
彼らは、単に商売しているという意味だけではなく「プロ」だ。右派といえども、その運動戦術を見習うべきところは見習っていくことが必要ではないだろうか。
そして、「運動」での目的が同じであれば、その他の主張は違っても共闘できる筈だ。

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