Jun 11, 2004

佐世保小学生殺傷事件

痛ましい事件だ。
佐世保で、学校内で小学校六年生の女児が、同級生の女児をカッターで刺殺するという事件がおきた。 この事件、真相が今一つわからない。少年法の壁や、現場の目撃者がいないなどの要因だ。ただ、いくつか論点があるので、それを列記してみたい。

・インターネットが犯罪の引き金
その後の加害女児によれば、学校での人間関係(被害者から「重い」と言われた)のが発端とされている。また、親が部活を勉強を理由にやめさせてから荒れはじめたという報道もなされている。
所詮、今回のインターネットの使われ方は女児らの年齢ではよくある交換日記や授業中の手紙を電子媒体で置き換えたものにすぎない。ましてや「バーチャル」などではありえない(仮想現実ではなく、顔も名前もわかる相手とやりとりしているのだ)。
副次的には作用しているかもしれないが、インターネットを使っているからこそ事件になったというような見方は短絡的かつ的外れというべきだ。この年代にはよくある「悪口を言った」「言わない」というような事が発端と捉えるべきだろう。

・加害者の証言は事実ではない
誤解がないように言っておくと、嘘をついているということではない。人間、興奮状態にある時は記憶が事実と異なることはままある。ましてや、元々、加害者の“主観”でしかありえない。
被害者はお亡くなりになったので当たり前だが、加害者(と書くと柔らかいが、要は“犯人”)の一方的な主張を事実の判明であるかのように垂れ流すマスコミの報道姿勢には大きな疑問が残る。

・短絡的な犯行は暴力的なゲームや漫画の影響
現在、ゲームや漫画というのは子供の日常になっている。全国に、漫画やゲームにさらされている子供は何万人もいる。だが、その子供達がみんな殺人事件を起こしているわけではない。
それなのに、なぜ、彼女だけが実際に犯行に及んだのか。彼女は漫画やゲームがなければ犯行をおこさなかったのか。
それこそが追求されるべきだろう。

・“徴候”に気づかなかった学校への非難
確かにある程度は非難される余地もある。しかし、学校内で小学生同士で殺人事件がおきるなどということは、さすがに想定外だし、その事自体は誰も非難できまい。学校がとめることができた筈と決め付けることは、あまりに“神の視点”にたった物言いであり、“後付”ではないだろうか?
学校の対応、教育に問題がないとは言わない。だが、スケープゴートにされているのではないだろうか。

・搬送しなかった救急隊への非難
既に加害者から、「15分放置した」との証言がある。救急隊を読んでから到着するまでの時間を考えれば、頚動脈から大量出血してから20分が経過していることになる。救急隊が搬送をしなかったことは、残念ながら適当というしかない。これを非難するのは、あまり感情論にすぎるだろう。

マスコミ批判的なものを並べたが、見るべき意見もある。読売新聞より引用しよう。

 インターネット上での書き込みのことなど、断片的に、少しずつ情報が伝わってくる。だが、まだ何も分かっていないに等しい。長崎県佐世保市で起きた女子小学生の事件のことである◆児童相談所長が加害者の少女について「ごく普通の子」と語った。両親も「問題なく育った」と話しているという。「普通の子」だったとは、重大事件でしばしば耳にすることだ◆しかし、普通の子は理由が何であれ、カッターナイフで人を襲ったりはしない。少女が被害少女について話すことのすべてを真実とみることも危ない。十一年間の成育の過程を詳しく調べてこそ、「なぜ」という疑問に迫ることができる◆今度も文部科学省は「心の教育」を言っている。神戸市で起きた連続児童殺傷事件の後、中央教育審議会が「心の教育」の在り方をまとめたが、A4判で五十ページ以上もある。分量は多いが、成果が上がっているとは聞かない◆命を大切にする教育を見直すことは必要である。ネットを利用する際のモラルを教えることにも異論はないが、果たして子供たちの心を響かす指導ができるだろうか◆三度の食事をしっかり取り、思い切り運動をして汗を流し、基本的な学力をきちんと身につけていく。これができる環境を家庭や学校でいかに作っていくか。それが先決のような気もするのだ。(読売新聞・2004年6月6日付編集手帳)
ありがちな「最近の子供は」と一括にして「同じ」「普通」だとするのは、今後にも、真実の究明にもまるで役に立つまい。
何が「違う」のかを検討することこそ、再発防止のために必要なことではないだろうか。

Posted at 09:26 in 社会 | WriteBacks ()
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