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Mar 20, 2004

小泉・亀井の出来レース

なにが出来レースかを語る前に、江藤・亀井派の歴史をかたろう。

中曽根派は吉田の仇敵でもあった鳩山一郎派がその祖である。
鳩山引退後、同派実力者であった河野一郎が派を継承し、さらにその死後、河野派の三分の二を引き継いだのが若き中曽根である(この頃の渾名は“青年将校”だ)。
その後、渡辺美智雄の一時的な離脱や山崎派の離脱、派閥代表の代替わりなどがあったが、事実上の中曽根派として一貫して中曽根がオーナー的立場にあった。中堅・若手が山崎派として離脱した後はなおさらだ。

一方、亀井派は、旧岸派に源流をもつ。岸は首相引退後、総理総裁候補として池田勇人を推す。これが原因で、岸派は福田赳夫派、藤山愛一郎派、川島正次郎派の三派に分裂した(後ニ派は後に消滅)。更に福田派は岸の娘婿である安倍派に衣替えした後、三塚博派になる(この際に加藤六月派が離脱、後に離党して新進党から自由党へ)。この三塚派で、森グループ(森・小泉系)と亀井グループ(三塚・亀井系)が主導権を巡って対立、結局、後継争いに敗れて飛び出したのが亀井派ということになる。

いってみればジリ貧の2派が合流したのが、江藤・亀井派の成立だ。そのため、党内右派という位置づけはあるが、烏合の衆とでもいえるようなバラバラの状態が真実である。

さて、二派の合流となれば、主導権争いが勃発するのは避けられないところだ。数的には旧中曽根(江藤)派のほうが多いのだが、資金力や豪腕ぶりから亀井派が派閥運営の主導権をほぼ握る。ところが、亀井にとっては目の上のタンコブになったのが、大勲位・中曽根だ。かつての三角大福中の唯一の生き残りである中曽根がいる限り、亀井の存在感を増すことができない。
さらに、亀井にとって中曽根を恨むに十分だったのは、01年の総裁選挙である。小泉に対抗して出馬した亀井だったが、その総裁選の最中、中曽根は勝ち馬にのるべく(あるいは小泉の改革姿勢にかつての自分を見たのか、亀井を弱体化させ江藤派の力を相対的に増すためか)森・小泉と手を結んだのだ。
だから、江藤が引退を表明した03年の衆議院選挙はチャンスとなった。“旧中曽根派”の領袖がいなくなるのだから、中曽根の支持勢力が弱まるからである。
小泉首相による中曽根引退勧告には、形ばかりの反対を示したが、亀井派はすんなりをそれを受け入れる。なにせ、自分の手を汚さずして、タンコブを取り除いてくれるのだから。
かくして、江藤・亀井派は亀井派となって、すっきりと一本化された。
『自民党亀井派会長の亀井静香・元政調会長は18日、首相官邸で小泉首相と会い、テロ対策について「挙党態勢で首相を支えるから、思い切った対応をしてほしい」と述べ、首相に協力する考えを伝えた。党内からは、亀井氏は「反小泉」から路線転換したのではないかとの見方も出ている。』(読売新聞3月18日)と報道されたが、これも中曽根を引退させてくれたバーターで、先の衆院選の頃からの既定路線だろう。

主流派にも復帰し、亀井派は万々歳!……とはいかなかった。
中曽根をとばした裏に亀井がいることを気づいていない旧中曽根派ではない。武藤嘉文元総務庁長官が派閥離脱を表明するなど動きを活発化させている。
引退させられた中曽根も、メディアでの露出を続けている。
石原慎太郎の国政復帰時に、一緒に新党を結成して、政界復帰! なんて事をたくらんでるんではないだろうか。

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