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Mar 17, 2004

国民裁判員制度に反対する

一般人の中から裁判官を登用するという法案が国会に提出されている。私はこれに大いに反対する。
確かに、国民感情からかけ離れた判決が出ていることは確かだが、それは裁判官の社会常識の欠如によるものか、法律そのものの不備が問題であり、裁判員制度導入では、それは解決しません。 例えば、後者でいえば、ねずみ講を禁じた法律の中に「国債」が含まれていなかったことから、国債を使ってねずみ講を行った事件がありました。これは、法律改正後には廃業したことから「無罪」なのです。だが、これは国民感情的には「有罪」といいたいところでしょう。しかし、これは事後法による裁きとなってしまい「罪刑法定主義(犯罪に対する刑罰はあらかじめ成文法に定められたものに限られるとする)」と「刑罰不遡及(刑罰は成文法が成立した時点以降の事件にのみ適用されるとする)」という自由民主主義国家の法の二大原則に違反します。

これが、なぜ大原則になるかといえば、ある日突然、駐車違反が死刑と定められ、それが法律制定日よりさかのぼって適用されたらどうなるか、ということを考えてみればいいでしょう。

まあ、例の場合はそもそも起訴されないとは思いますが、国民感情と法律の原則が必ずしも一致しないという説明です。
また、陪審員制度やそれに類する制度の問題点として「ある一定の見方に縛られている場合、偏った結果がでる」ことがあります。米でも、大企業を相手にした訴訟では、陪審員が反大企業の姿勢をとることが多く、巨額な懲罰的賠償金の支払いが命じられることも多くおきています。
学校なので、模擬裁判をするなどして“訓練”している国ですらこうなのです。マスコミが騒ぎ立て、国民が一方を向きやすい日本ではどうなるでしょう? きっと、ロス事件の三浦氏は無罪になることはなかったでしょうね。

そして、もう一つ。
裁判は平日の昼間に行わなくてはなりませんから、選ばれた人間は仕事を休まなくてはならないでしょう。
時給で働いている人達は収入が減り、個人商店なら店を閉めなくてはなりません。また、ただでさえ休むことのできず、仕事の予定も自分では決められないサラリーマンは仕事に皺寄せがきます。多くの人はおそらく辞退することになるでしょう。
となると、裁判員になるのは、学校の先生や、公務員など特定の職種に偏ることが想像できます。そうした特定の職種の人たちに支配的な考え方が果たして国民感情にあっているのでしょうか? とてもそうは思えませんね。

今回の栽培員制度は百害あって一利なし。
国家百年の大計を誤らせる愚作としかいえません。

Posted at 10:18 in 政治 | WriteBacks ()
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