Nov 12, 2004
アラファト逝去
PLO(パレスチナ暫定統治機構)議長のヤセル・アラファト(本名:モハメッド・ラウフ・アラファト・アル=クドゥフ・アル・フセイニ)氏が逝去した。享年75才。故人の冥福を祈る。
過去の日本の報道を振り返るに、「イスラエル=悪、PLO(アラファト)=善」のような単純な二元論が多かったように思う。
そこで、アラファトの“影”に光をあてていきたい。
まず、忘れてはならないのは、彼は紛れもないテロリストであったということだ。 1959年、カイロ大学在学中にファタハを組織。現在の報道では、「対イスラエル武装闘争」とされているが、これこそテロそのものである。 1968年、遠足から帰る途中のユダヤ人児童を乗せたバスが南部の砂漠を走行中、地雷を踏み、29人が死傷する事件もファタハによるとされている。 1969年2月にPLO議長に就任すると従来の穏健派を一層。PLO配下の「ブラック・セプテンバー」(実際にはファタハの国際テロ活動時の隠れ蓑的名称といわれている)は、1971年にヨルダン首相ワシフィ・アル・タルを暗殺、1972年には有名なミュンヘンオリンピック選手村イスラエル選手団人質虐殺事件を起こしている。
彼が穏健路線に転じたといわれているのが、1998年、国連総会でイスラエルの生存権承認とテロ放棄演説だ。この後、1993年にイスラエルとパレスチナ暫定自治共同宣言に調印し、1994年にはノーベル平和賞を受賞するまでに至る。
だが、2000年9月の、イスラエル・リクード党シャロン党首(現首相)のエルサレム旧市街「神殿の丘」(イスラムの聖地)訪問を契機にイスラエル・パレスチナ間の武力衝突が再燃・激化。2003年にイスラエルとPLOは新中東和平案「ロードマップ」に合意したが、実際にはイスラエルのテロが横行していることは現在進行形だ。
アラファトは、イスラエルがいうようにテロに資金援助までしていたかどうかまでは定かではないが、最後まで治安・情報部門は自分の手元においていたため、テロを意図的に取り締まらないなどの間接的な形で、イスラエルへの“武力闘争”を続けていると受け取られている(これが、米などからアラファトが「和平最大の障壁」といわれている要因の一つだ)。
また、嘆き悲しむパレスチナ人の姿が報道されているが、自治政府やPLOの資産を一手に管理・掌握し、また、側近や盟友による指導体制を敷いて汚職をまかり通らせたことに批判も多かった。
実際、昨年の米誌フォーブスの「世界の国王・元首資産番付」によると、個人資産は3億ドル(約320億円)で6位にランキングされている。ビジネスを行っているわけでもないアラファトがどうやってそれだけの資産を貯めたのかは、大いに疑問が残るところだ。
アラファトがカリスマ的指導者であり、後継者が見あたらないといわれているのも、先に述べたように、側近政治を行い、“ライバル”を蹴落としてきたためだ。
今後は後継者争いが激化すると見られているが、特にクリスチャンであったスーハ夫人は素顔をそのまま人前に出すなどイスラムの伝統的価値観を守らず、フランスで贅沢な生活をしているなど反感を買っている。この人物が(遺産の行方なども含めて)表に出てくるようだと、より一層、状況は混沌とし、パレスチナは統制を失うことになろう。
長期的には、アラファトの死はイスラエル・パレスチナ和平に有利に働くと見ているが、短期的にはテロ激化などが見られると思われる。
ところで、アラファトの病はAIDSだったという情報がある。
病状に関しては、「白血球の増大と血小板の減少」「胃腸の消化障害」「体重の急激な減少」「白血病ではない」「意識障害」などと断片的なものが出回っているが、それとは整合する。その上、なぜか病名が公開されていないという現状の説明もできる。
なかなか説得力がある説だとは思うが、今となっては、何が病名でも特に違いがあるわけではあるまい。
ただ、「イスラエル(や内部抗争)による毒殺」などという怪説を防ぐためには、病名の公開をすべきだと思う。
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