Oct 26, 2006

戦後日本の総決算

「もはや戦後ではない」といったのは昭和31年、鳩山内閣時の経済白書。日本が戦後の経済混乱期を抜けたことをあらわす言葉だった。
「戦後政治の総決算」をスローガンにかかげたのは昭和57年、中曽根内閣だった。彼は三公社民営化をやりとげ。また、日米同盟を軍事同盟であることを国内に知らしめるなどした。しかし、教育基本法改正、靖国神社公式参拝、憲法改正問題などでは成果をあげられなかった。

そして21世紀。ようやく、本当の意味での戦後日本の総決算がはじまろうとしている。

核武装論、日教組批判、(えせ)同和利権、対中韓強硬外交、防衛省設置、有事法制、周辺事態宣言、憲法改正……
いずれも、かつては口にするだけで首がよんだような代物だ。
しかし、マスコミからの批判はあれども、そうした議論が口に出せるようになり、全てではないにしろ実際の政治日程化している。
これは、ほんの10年前と比べても劇的な変化だといえよう。

戦後60年。
小泉はトリガーを引き、破壊を行った。
安部はそれを引き継ぎ、再構築をはじめようとしている。
戦後政治の総決算は、今からはじまる。

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Oct 24, 2006

北朝鮮の核開発

北朝鮮は核実験をしたが失敗した。
というのが定説となったようだ。

広島型とも言われるガンバレル型の原爆なら、構造は簡単だが、効率は悪いし原材料の入手が難しい。
そのため、今日では長崎型である爆縮型と呼ばれる型で原爆は製造されている。構造は難しいが、効率が高く原材料の入手が(比較的)簡単である。
今回、北朝鮮も爆縮型で実験したが、構造が難しいことから失敗したということになる。

しかし、これで、北朝鮮の技術は低いからと侮っていてはいけない。
何より彼らは開発の意思を捨てていない。
そして、いくら技術力が必要といっても60年以上前の技術で開発できたものだということを忘れてはいけない。
核実験そのものの成功は時間の問題といっていいだろう。

もちろん、実験できたとしても実用化までにはまだ時間がかかる。特に日本にとって最大の脅威であるミサイル弾頭として小型化するのには困難が多いだろう。
しかし、例えば船に積むことは可能であるし、国内で“迎撃”に使用すれば、運搬手段は必要ない。
特に後者は、実際の軍事侵攻があれば、どうせ後がない北朝鮮ならやりかねない。自軍兵士が被爆するなどというのは、米韓とも世論が耐えられまい。
となると、米軍が侵攻できる猶予期間は短い。
一方で、中国は北朝鮮が自由陣営になることはもちろん望んでいない。そして、核を暴発させ足り流出させるようなことがあれば、その批判は北朝鮮の後ろ盾であった中国に跳ね返ってくることは明白で、苦しい立場に追い込まれる。北が核をもってから混乱・崩壊されてはマズイのである。下手をうてば、核持ちの統一朝鮮・自由側というのができかねない。

結局、中韓とも北朝鮮が核を持つ前に事態打開をしなくてはならないことはかわらない。
だから、あそのランディングポントをどこにするか、というのが目下のところの米中の猛烈なせめぎあいの中だというところではないだろうか。
そして、それが決まる時期はそう遠くない。
その時、日本はどうあるべきかを、よく考えておかねばらないだろう。

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Oct 17, 2006

いじめを理解できない教師

“いじめ”を原因として痛ましい事件が相次いでいる。
いじめの問題は確かに難しい。これは、いじめられる側がいじめと感じれば、そうであるという類のもので、個人差がある。世間的には一般的なものであっても、それをいじめと感じ、苦としている者がいるかもしれないということだ。
ましてや、いじめが完全に存在しない学校(会社なども含めてもよい)は存在しないだろう。だが、その現実を踏まえた上でも、決して肯定されてはならない。
いじめている子には指導を。
いじめられている子にはフォローを。
それは学校と親、両方に求められることだ。

福岡県での、男子生徒がいじめを苦に自殺した問題は、元担任、女生徒にも「おまえは豚だ」 福岡のいじめ自殺(ZAKZAK 10/16)というように教師がいじめのきっかけをつくった、加担していた、という報道がなされている。
葬式の場で認めていたようだし、他の生徒からの証言もあるようなので、事実なのだろう。
しかし、おそらく、教師本人はいじめを楽しんでいたわけではあるまい。
それ以前に、いじめであるとは理解していなかったに違いないと思うからだ。
せいぜい、自分がフレンドリーで面白い教師だというくらいの認識だったのではないか。

私の親類の例を引こう。なお、事が事なので、特定できるような情報はそぎ落としてあることをお断りしておく。

小学校での避難訓練の時である。
Aは防災頭巾を被らずに避難をした。
これを担任教師は「本番だったら足手まといになって、あなたのせいで友達が死んだかもしれない」と怒った。
しかし、Aの親がAによく事情を訪ねたところ、Aの防災頭巾はいじめにより隠されてしまっていたことが判った。
そこで、Aの親は、学校で担任と面談をし、怒ったことの撤回といじめっ子へ同じように怒れと要求した。
しかし、担任はそれを拒否した。
Aを怒ったことは「実際に起きたことだから」、撤回の必要がないのだという。
いじめっ子へ怒ることは、煮え切らない態度を示して、結局、怒ることはなかったのだという。
Aの親がいわく、なぜ、Aの親がそういう要求をしているのか、全く理解できなかった様子だったそうだ。
結局、事実を知ってなお、この担任はいじめっ子にはおこらず、そのいじめをうけた子を怒ったままだった。
この担任は、物事の因果関係、原因と結果、優先順位などを全く理解できていないのだろう。だから、いじめというものを理解できていないのだ。
これで、いじめられている子をフォローできるわけがない

今回の教師も同じだったのではないか。
自分がいじめをしているなどという自覚は全くなかったのではないか。

一般に、教師というものは、大学受験にもそれなりに成功し、22才やそこらで自分より年上、場合によっては親のような世代もいる生徒の親から、先生、先生といわれ頭を下げられる立場になる。以後、ずっとそのままだ。
このような過程で教育された“教師”が、果たして、いじめられっ子やおちこぼれと言われるような子供たちをを指導できるのだろうか? はなはだ疑問である。

さて、もう一つ、言を左右する校長が非難を浴びている。
校長自身がクラスを見ていたわけではないから、事実把握に手間取ったり、細かいところがわからなかったりするのは当然だとは思うが、「長」というのは、なにかあった時に責任をとる立場なのだから、ここはしっかりと対応してほしい。
ただ、気になるところがある。
それは、日教組の問題だ。
この問題教師を日教組がかばっていたりはしないのだろうか?
校長は日教組と遺族・世間との間に挟まれていたりはしないのだろうか?
別に、そういう証拠があるわけではないのだが、引っかかるところである。
なにせ、この旧三輪町は、こういう方の出身地でもあるようなので……

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