Sep 27, 2006

さらば小泉政権

変人と言われ、それ以前の二回の総裁選では泡沫候補扱いだった小泉が首相になってからはや5年以上。誕生時から想像もできなかったような長期政権となり、余力をもった退陣ということになった。

小泉政権の業績を教科書的に表現するなら「訪朝」であり「イラク派遣」であり「郵政民営化」でありということになるのだろう。
しかし、小泉政権の最大の功績は「保守新興」にあったのではないだろうか。

彼は劇場型と呼ばれた、広く大衆に訴えかけるスタイルの政治表現を行った。
しかも、そこで、小泉首相は従来の政権とは異なり、マスコミや既得権益に左右されない姿を見せた。
この大衆の耳目を集める手法の中で、従来はノンポリだった層に、小泉の姿勢を支持するものがうまれ、そうした層がノンポリから新興の保守となった、
その流れが、麻生を総裁選2位に押し上げ、安部を総理に押し上げたのである。

今、日本が普通の国家になろうとしているのは、国民の支持があってのことだ。
だから、小泉最大の功績は新たな保守層をつくりあげたという“保守新興”にあるのではないかと、私は思うのである。

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Sep 21, 2006

安倍新総裁誕生へ

自民党総裁選が開票され、安倍氏が大差をつけて新総裁に選任された。
マスコミの事前予想通りで、かつては大平、あるいは前回の小泉と事前予想を覆された苦い記憶がある彼らはほっと胸をなでおろしているところだろう。

で、むしろ注目になっていたのは二位争い。
制したのは麻生氏で133票、三位は谷垣氏で102票。
麻生氏は二位争いを制してポスト安倍に大きく地歩を築いた一方、谷垣氏も100票を超えて面目をたもち、ポスト安倍に態勢を残した。
というのが一般的な評価だろう。
だが、よく見ると面白いのは、票の割合。
麻生氏は議員票69票、党員・党友票67票。谷垣氏は議員票66票、党員・党友票36票となっているのだ。

麻生氏と谷垣氏はほぼ議員票がかわらないのに、地方票でかなりの差をつけられている。
谷垣氏は、反安倍・親中のスタンスを明確に示したのが、反安倍票をとりこんだといわれているが、議員票に比べると地方票が少ない。
ということは、自民党議員の中には、まだ一定の「谷垣的立場」の人間が残っているのに対し、自民党支持層からは、そうした立場は指示を失ってきているということではないだろうか?
もちろん、政策だけでそう票数は決まるものではないが、すでに党員・党友票を議員が完全にコントロールすることは不可能になっているから、そういう傾向は出ていると思う。
支持層から支持されない、ということになれば、自民党におけるそうした勢力は、今後、発言力を低下させていくことになるではないかと期待するのだが。

ところで、マスコミは、やたらに味方が多すぎて安倍新総裁は大変だ、という書き立て方をしている。だが、もし辛勝であったなら、反派が多くて大変だ、という書き方をするのだろう。
ためにするような具にもつかない記事は、もううんざりなのだが。

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Sep 12, 2006

9.11

私事、忙しくてなかなか更新できずに失礼。

この間、小泉首相が終戦記念日に靖国神社参拝を断行したことは、英断であり、今後のアジア外交に大きな一歩を記したといえる出来事だった。
小泉首相の政策を全て支持しているわけではないが、この件をはじめとする外交には大きな評価を与えたい。理論で導いたのか、直感で導いたかなんてのはどうでもよく、結果論である。

また、先日は秋篠宮殿下に新宮様がご誕生という慶事もあった。
小泉首相の政策で支持できないものの一つ、皇室典範改正(女系天皇)問題が、これで綺麗に吹き飛んだ。
ある程度の偶然が作用する問題であり、天皇家二六〇〇年(とここではいっておこう)の神秘を見た想いである。

さて、今回の主題は9.11テロについて。
といっても、特に結論はないのだが、今思っている雑感を纏めたエントリである。

あれから、もう5年もたったのかというのが正直なところ。
そして、この9.11テロは、地下鉄サリン事件と並んでテロ史に名を刻んだ事件だったといえる。
この両テロは似通った部分がある。
非常に多数の一般市民を巻き込んだという点。
そして、そのために、非常に高度な専門知識を動員したということだ。
それまで、テロの手段としては、銃器・爆発物・刃物などが使用され、これらを早期に発見し、持ち込ませないことが対テロ方策だったとえいる。
しかし、地下鉄サリン事件では、毒ガス生成という専門的な知識が動員され、治安当局が全くノーマークな凶器が使用された。
そして、9.11では、凶器を飛行機そのものとし、テロ実行犯自体はテロ本体実行のための凶器は持ち込んでいない。

よって、9.11以降、テロ対策とは人対策となった。
米英などが人権侵害、人種差別と非難され、誤認を繰り返しながらも、“テロ容疑者”を拘束し続けるのは、武器をおさえることでテロを防ぐことができないから、人を抑えるしかなくなったからである。
そして、強引な手法であっても、見逃してテロが発生するよりはマシ、という彼らなりのバランス感覚が働いているのだ。
これは善悪の問題ではない。実際にトラウマになるようなテロ攻撃を受けた結果の恐怖心であるといえるし、この「バランス論」を否定するなら、相応の理屈を用意する必要があろう(余談だが、イスラエルのパレスチナ侵攻も同じタームで語れると私は思っている)。

それにしても5年前。
生中継の画面を見ていたことを思い出す。
当初は遊覧飛行中の小型機でも突入したのかと思ったが、明らかにそんな規模でない破壊が生じていた、WTC。
どうなっているのかと、凝視していたら、突如、フレームインしてきた中型旅客機がビルに吸い込まれていった、あの衝撃は忘れられない。
ベクトルは全く異なるが、アポロの月面着陸シーンやケネディ暗殺映像などをリアルタイムに見たのと(ケネディ暗殺はリアルタイムではないが、他のメディアに露出する前、予備情報なしに初見だったということで)同じ衝撃だったのではないかと思う。
私は、おそらくこの衝撃を忘れることはできないだろう。
そして、きっと同じ映像を見ていた多くの人もそうであろうだろう。
この映像をリアルタイムで見ていたかどうかが、世代の分かれ目になるような、そんな衝撃だった。

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