Apr 28, 2005
福知山線事故の置石
ついに福知山線脱線事故の死者が100名をこえてしまった。 国内鉄道事故で、死者が100名を越えたのは、昭和38年の国鉄鶴見事故以来。ATS導入後では初の惨事である。平成12年の営団日比谷線中目黒駅衝突事故と同様、従来の鉄道工学の常識を覆すような事態がおきた可能性もあり、原因究明がまたれる。
その、原因究明の中で、“置石”という存在が取りざたされている。
元々、JR西が、レール上に粉砕痕があったことから置石があったことを強く示唆する説明をしたところから浮上したものだ。
なにやら、JR西が責任回避をしようとするにおいもするし、脱線車両が巻き上げたバラストを後続車両が踏んだのではないかという見方もあり、実際のところ、置石だったのかどうかは現時点では不明だ。
だが、多くのマスコミで言われているように、仮に置石があったとした場合でも、事故原因と関係ないとする見方には賛成しない。
というのは、現在、一部で報道されているような、速度超過→急ブレーキが主因とするなら、置石との因果関係も考えられるからだ。
一般に、置石などを踏んだ場合、よほどのものでない限り、列車はそれを粉砕(つぶして)しまい、安全運行にはほとんど支障がない。しかし“踏んだ”ことが感じ取れたなら、すぐに緊急停止して、状況を確認することが、運行規定には定められている筈だ。
となると「速度超過で進入してきた電車がカーブ手前で置石を踏む。→それを察知した運転士はマニュアルどおり緊急停止しようとして急ブレーキ→脱線」という流れが成立する余地があるのではないだろうか。
私がここに記したことが、本当に原因であるかわからない。大体、事故調査委員会が時間がかかるといっているものを、私がわかるわけはない(余談だが、報道では、JR、警察、事故調の事故原因についての見解が断片的にバラバラで報道されるので、混乱を増しているように思う)。
ただ、「置石はあったとしても関係ない」「急ブレーキが原因」と並べて報道できてしまうマスコミの、ものの見方の浅さに腹がたつのだ。
郵政民営化法案のバロメーター
昨日、フジテレビ系の夕方のニュース「FNNスーパーニュース」のキャスター、木村太郎氏が、面白いコメントを発していた。
「郵政民営化法案が骨抜きになったかどうかは、反対派議員の態度でわかる。彼らが本気で強硬に反対しているうちは、民営化で変わることがでてくるということだ」(要約)
なるほど、そのとおりだ。
彼らにとってマズイ方向に変更されるからこそ、強く反対している。
支持団体(=特定郵便局)へのパフォーマンス分は割り引くにしても、彼らの反対姿勢が“骨抜き”になった時こそ、郵政民営化法案も“骨抜き”になった時だろう。
Apr 27, 2005
疑問だらけのマスコミ報道
JR福知山線事故について、様々な“新事実”が報道されてきている。
その中で、マスコミの“誤り”が明らかになってきた。
まず、進入速度については100km/h程度ということになってきたようだ。
今まで、散々に120km/h、133km/hという数字を喧伝して、列車がそこまで速度をあげたかのような印象操作に近い報道はなんだったのだろうか。
また、単純な速度超過で脱線したかのような報道の論拠も弱くなった。
実際、事故調査委員会でも、単独で突出した異常はなく、速度を含む複合的要因で、原因究明には時間がかかるという見解を示している。
ブレーキ痕について、昨日の段階では、カーブの手前にあったという報道がなされていた。しかし、事故調査委員会は現場付近にブレーキ痕はなかったとしている。これは大きな違いだ。
電車に遅れについても、1分30秒あったものが、直前の駅では1分に短縮されていたという報道になっていた。しかし、この直前の駅での「1分」は秒単位では計測できないシステムによるものだということで、実際には「1分~1分59秒」までの可能性があるという。つまり、短縮できていたかどうかはわからない(遅れが広がっていた可能性すらある)というのだ。
もちろん、これらの“新事実”も報道によるものだから、間違っている可能性がある。
が、旧事実とは異なる以上、どちらかが間違っているか、両方が間違っているかしかない。つまるところ、マスコミに誤りがあることにはかわりない。
だが、彼らは、それについて謝罪するつもいりは全くないようだ。
もう一つ疑問なのは、JR西日本に対する、安全性軽視という報道へのスタンスだ。
まず、正確なダイヤ運行を求めたことについては、「サービスに厳格である」ということでもある。それ自体は責められることではない。企業としては評価されるべきだ。問題は、それが「無理」なことかどうかということである。
また、ATSが旧型だという批判があるが、今回、いわれている“新型”とは、ATS-Pタイプのものだ。これは、ドル箱であり超過密運転区間である首都圏路線をもつJR東日本でATCとあわせて比較的広範囲に採用されているのを除くと、普及率があまり高くない。
JR西日本は、確かに大阪圏路線がドル箱ではあるが、関西圏路線は関東より私鉄が強く、競争が激しい。そのため、値上が事実上不可能である。
一方で、多くの赤字路線を大阪圏路線の黒字で支えるという不健全な構造にもなっている。だが、公共交通機関として安易に赤字路線を処分できない。また、バリアフリー化や電力消費量削減といった法令に基づくような課題も抱えている。
更にいえば、鉄道は整備を行うのに用地買収などを考えなくてはいけないため、常に現金をある程度必要とされるということもある。
こうした背景をふまえた上で、旧式とはいえ、ATSが装備されている以上、全く安全対策がなされていないわけではない路線に新型ATSを工事していないことが、安全性軽視といわれるほど判断を誤っているものなのかどうか。
新型なら防げたはずだから、工事してないのは安全軽視というのでは、あまりに結果論にすぎる。私自身は、判断がつきかねるのだが、こうした背景をも含めた上で「無理なサービスだったか」「安全設備の更新に手落ちがあったか」という観点で報道とは行われるべきではないだろうか(これは、JR西が安全軽視をしていなかった、と主張しているわけではない。それを論じるマスコミの視点があまりに疑問だということだ)。
以前の踏切事故でのエントリでも触れたが、会社の責任は大きいが、それだけでなく社会全体の問題もある(だから会社の責任が軽減されるとか、そういう意味ではない)。
今回の事故でもオーバーランをしたことで、車掌に乗客から抗議があったという。
1分遅れれば、ホームから人がはみ出てしまうほと過密した路線も大都市圏にはある。
1分1秒の正確さを求めているのは、換言してしまえば、会社ではなく利用者だ。
そして、超過密ダイヤが求められているのは、日本の大都市圏における交通システム全体の問題だ。
こうした点をきちんと論じていかねば、事故を本当に防ぐことはできないであろう。
Apr 26, 2005
福知山線事故での報道
25日に発生した、JR西日本・福知山線の事故は、現在でも救出活動が続いており、多数の死傷者を出す大惨事となった。 犠牲者、遺族の方々には、心からお悔やみ申し上げます。 また、被害にあわれた方の一日も早いご回復をお祈りいたします。
この事故は、日本鉄道史上でも最大規模の事故であり、報道も多くの時間を割いている。しかし、特にTV報道において、疑問が残る点が多々ある。
それを列挙していきたい。
■JR西日本社長会見での罵声
JR西日本社長の会見の際、会社側が「原因は不明」「これから調査する」と答えたことに対し、「人が死んでいるのに、わからないとは何だ」というような罵声が記者の間からおき、それが録画でも放送された。
初期の段階で、事故の原因がわからなくても当たり前であるし、至極単純な図式(脱線であれば、車との接触など)以外では主因と考えられるものがあっても、軽々しくこたえられないのが責任者として当然であろう。
ましてや、あの段階では、原因究明より救出を優先すべき段階である。
■JR西日本社員への罵倒
病院に見舞と謝罪に訪れたJR西日本社員を、マスコミ陣が取り囲み、「謝罪をする気が本当にあるのか」などと罵倒するような光景があった。
被害者とその関係者なら罵声を浴びせる権利もあろう。
先の社長会見での罵声もそうだが、いつから、マスコミはそんなに偉くなったのか?
彼らの仕事は報道であり、自らの価値観で人を裁くことではないはずだ。
JR西日本という会社の社員として社会的責任はあるが(だからこそ病院にいっているわけだが)、その社員の人間性まで攻撃する権利などマスコミにはない。
TV朝日では「取り乱す社員」というキャプションで、JR西日本の社員がマスコミに対して「謝罪をとにかく優先させてくれ。誠心誠意、謝ろうとしているのを邪魔しないでほしい」と涙ながらに発言するシーンが放送された。しかし、これは取り乱しているというよりも、当然の発言であり、マスコミへの明確な抗議だ。これを“取り乱す”などとレッテル張りするのは、マスコミの傲慢以外のなにものでもない。
■JR西日本社長への罵声
遺体安置所を訪れた社長が出てくるところをマスコミが取り囲み、「責任をとらないのか」などと、またも罵声をあびせた。
しかし、事故原因がはっきりしない上、救出を急ぐ段階であることはいうまでもない。
ましてや、責任の取り方は、本人(会社)が決めるものであり、それを評価するのは被害者、犠牲者の遺族、そして世間だ。マスコミが決めるものではないだろう。
ここれでも、マスコミの傲慢さが見て取れる。
■運転士への“犯人”扱い
運転士の速度超過は事実としても、それが事故の主因であるとも断定できない。
かなり初期の段階から、運転士を犯人扱いするような報道が目立ち、また、彼を未熟な(あるいは劣悪な)運転士と断定するような報道が多い。
結果的に彼の運転ミスが事故の主因だったとしても、それは事故原因がはっきりしてから論じられるべきだ。マスコミが勝手に“犯人”をつくりあげていいわけではない。
ここまであげつらっておいて、もし、主因が運転以外だった場合、“報道被害”に対して責任をとる覚悟がマスコミにはあるのか?
■軽量車両への批判
今回の事故を大きくしたのは、JRが効率重視で構造が弱い軽量車両を導入したからだという論調がある。これは、あまりに結果論的、皮相的見方であろう。
仮に、もっと重量のある車両だった場合、当然ながら、エネルギー量は多くなる。
となれば、マンションへの激突の衝撃は増すし、後続車両の行き足も増す。より多くの車両が重なり合っていた可能性がある。また、その場合、マンション自体に与えるダメージが大きなるのだから、深刻なダメージとなっていた可能性もあるだろう。
付け加えていうならば、軽量であるということは、ブレーキがききやすいということでもある。となると、それがゆえに事故に至らなかったケースなどもあるはずだ。
“重ければいい”は、あまりに単純すぎる論法ではないか。
また、軽量ゆえに側面衝突への強度が脆いという批判も納得できない。
電車のような長方形なものは、どうしても、側面からの衝撃には弱くなる。これはどんな材質の車体でも同じだ。
過去の日本の鉄道事故を振り返った場合、最大級の死者を出しているのは、昭和15年の安治川口駅ガソリンカー横転火災事故(死者189人)、昭和26年の桜木町駅国電火災(死者106人)などの火災事故、昭和22年の八高線列車転覆事故(速度超過・不十分な保線による脱線転覆・築堤から転落、死者105人)、また、大きな事故という意味では昭和61年の余部鉄橋落下事故(突風により鉄橋から40m下の地面へ車両が転落。死者6人)というのがあるが、これらは車体強度はあまり関係ない。
衝突事故では、昭和38年の国鉄鶴見事故(競合脱線・転覆した貨物列車への電車激突。死者161人)、昭和37年の三河島事故(信号誤認で脱線・転覆した貨物機関車への電車二重激突。死者160人)、平成3年の信楽鉄道衝突事故(信楽高原鉄道での正面衝突。死者42人)、昭和63年のJR東中野駅追突事故(停車中の電車に後続電車衝突、死者2名)などがあげられるが、いずれも衝突は正面からのものである。
例外は、平成12年の営団日比谷線中目黒駅衝突事故(死者5人)で、この時は脱線した電車が対向電車の側面をえぐりとるような形で衝突している。ただ、この事故でも、側面からの衝突というよりは、オフセット衝突に近い形であり、問題なった強度は、どちらかといえば外板そのものの強度論に近いものだった。電車の構造体として側面衝突強度は問題になっていない。
このことから、車体正面強度を重視する一方、側面は特に衝突を考慮しなかったことは、理屈と経験則がある。
「側面強度を軽視している」というのは、あまりに結果論的で後付の非難ではないだろうか。
以上、今回、私が報道で疑問に残る点を列挙してみた。
報道が事実を伝えるのではなく、「悪者」を仕立て上げて、人民裁判をするような形となっていることを大きく危惧する。
ここからは今回の事故について、マスコミ報道について以外の私見。
今回の事故原因は速度超過があったのは事実だろうが、それだけではない、複合要因ではないかと思う。単に速度超過での脱線なら、いきなり転覆する可能性が高いからだ。日比谷線事故でも主因となったせりあがりの問題や、置石、保線状況などを仔細に検討する必要があろう。
上記ではマスコミの運転士犯人扱いを批判したが、JR西日本が置石をことさら強調するような姿勢も批判に値する。なにか、責任回避をしようとしているようにしかみえない。原因はまだ不明なのだ。
また、側面強度の問題も、今まで考えられていなかったのはやむをえないが、今後は考えていく必要があるかもしれない。過密都市での過密ダイヤという世界的には特殊状況・日本では日常状況という状態下の脱線事故では、周囲の構造物と衝突するという可能性があるということが示されたのであるから。
最後に。
今回の救助体制は、阪神大震災の教訓がいかされていたように思う。
救助の優先付け、消防・自衛隊の自治体からの出動要請(自衛隊が事故で災害派遣を行うのは航空機事故以外では異例だろう)、病院での受け入れ・診療体制(負傷者の首からさげる形の簡易カルテや、ホワイトボードの活用、優先付け)。
そして、公的機関以外の多くの民間の人々の救助活動。
悲しい記憶ではあるが、単にそれだけにとどめなかったことを素晴らしいと思う。
そして、事故救助に関わった、関わっている全ての人に敬意を。
Apr 21, 2005
空へ……
残念な訃報が入った。
日本民間曲技飛行の草分けにして、日本唯一のプロ曲技飛行チームを率いた第一人者(というようり、ほとんど唯一の存在)、ロック岩崎氏が曲技訓練中のの但馬空港で墜落、お亡くなりになった。
航空自衛隊でF-15パイロットであった岩崎氏は、退官後、曲技飛行をアメリカで学び、日本各地でその妙技を披露してくれていた。
私が最後に見たのは去年のこと。
悪天候で次々と飛行がキャンセルされる中、いつも以上のアクロバットを披露してくれていたことが思い出される。
ロック岩崎氏のご冥福をお祈りいたします。
そして、願わくば、日本民間曲技飛行の灯が消えないことを……エアロック、そしてサニー横山氏、頑張ってください。
Apr 20, 2005
敵性言葉狩り
先の大戦中、日本の敗色が濃くなった昭和18年。
敵性語である英語を廃止すべきであるとして、日本プロ野球は野球用語の日本語化を余儀なくされる。
ストライク→よし/正球、三振アウト→「それまで」、セーフ→よし/安全、アウト→ひけ/無為、ヒット→正打、ファウル→圏外、ファウルチップ→擦打、ホームチーム→「迎撃組、ビジターチーム→往戦組……。チーム名も、タイガース→阪神、イーグルス→黒鷲、セネタース→翼、ライオン→朝日などなった。
また、芸能界でも、ディック・ミネ→三根耕一、ビクター(会社名)→勝鬨といったように改名を余儀なくされている。
現代では「敵性語廃止」は愚かな行為だったとして、批判され、また、物笑いのタネにもなっているのは、ご存知の方も多いだろう。
大抵は、このような行為は二度とするべきではない、という文脈で語られている。
が、戦争中でもないのに、隣の国では敵性言葉狩りがはじまったようだ。
もちろん、“敵”とは、その国と休戦中のかの国ではない。
韓国「サシミ、ワサビ抜き」 釜山の教授らが日本語排斥運動 「定着しててもダメ」(西日本新聞4月19日=Yahoo! NEWS)
海鮮料理関連で数多く残る日本語を排斥し、韓国語に置き換える運動を、大学教授がはじめたとという報道だ。
サシミ→センソンフェ、ワサビ→コチュネンイ、サワラ→ハクコンチ、アナゴ→プンチャンオ、突き出し→プヨリ……
「サシミ」「ワサビ」「スシ」などは国際的な言葉として定着しているが、「わが民族の自尊心回復のため、この地だけは、これ以上、日本語のはんらんを放置できない」と述べたそうだ。
なんというか、韓国センソンフェ(サシミ)協会会長という大学教授がやるような行為とは思えない。 いっそギャグだと思えば笑えるが……韓国の民度がわかろうというものだ。
Apr 19, 2005
謝罪と補償
首相が謝罪と補償要求 首脳会議で中国へ(共同通信4月18日=Yahoo! NEWS)という見出しがあった。
中身は、反日暴動による破壊行為に対する謝罪と補償を、小泉首相が中国側に求める考えを明らかにしたという、至極まっとうなもの。
が、よくみる「中国が謝罪と補償要求 首脳会議で首相へ」というような見出しと全く逆で、思わず笑ってしまった。
それにしても、今回の“反日デモ”を擁護する声は、さすがに日本国内では少ない。中国は日本に責任転嫁しようとしているようだが、国際的にもそう簡単にはいかないだろう。
確かに「デモ」そのものや、「不買運動」といった行動になら、そうした言い訳も、まだ理が通りうる。
しかし、「暴動」となって、民間店舗や大使館・総領事館への襲撃となれば、話は異なるからだ。それは、明確な犯罪行為であり、国際条約にも違反している。
破壊行動について、謝罪・補償するのは当然のことだ。
全てはそれからのことという単純なことである。
もっとも、このまま中国が強弁を続けるのも日本にとってはいいかもしれない。 中国に進出している日本企業に多少のダメージはあろうが、中国という国の本性が国内に広くしらしめられるのは、より国益にかなっているだろうから。
Apr 18, 2005
国連常任理事国入を目指そう
国連常任理事国入を目指す、最近の日本の戦略に、国内でも一部で異論がある。
だが、私は、目指すべきだと思う。
まず、私は国連中心主義などという戯けた幻想に付き合うつもりはない。
国連は、国際政治においては、所詮ツールにすぎないからだ。
冷戦期には全くといっていいほど機能しなかった安保理が、冷戦構造が終結し、超大国が唯一・アメリカになったとたん、機能しはじめたのは、それがツール(この場合はアメリカの、ということ)にすぎないことを露呈したといえよう。
だが、そんな国連を、米同盟の一角としての重きを成すためにしろ、国連改革を行うにしろ、常任理事国入には意味があると考える。
まず、日本外交としての戦術の問題がある。
日本はその国連に加盟国中最大の資金提供を行っている。
それだけの支出を行っている組織に、応分の発言力を求めるのは当然だ。
そんな基本中の基本ができていないことが問題であり、今からでも是正を求めるに遅くない。
次に、安保理は、大きな国際会議であるのに、日本が常時参加できないという問題。
特に、国連は実行力に乏しいとはいえ、大義名分を整えるだけの力はあるのだから、こうした会議に常時参加できるようになることは、重要である。
そして、これが最大の理由だが、第二次大戦の戦後体制終結の象徴的な出来事になるからだ。
国連は、よくいわれるように、UN=United Nations。すなわち、戦時中の米英露を中心とする「連合国」、そのままの名称である。
いってみれば、戦勝国による“勝ち組クラブ”が国連であるといえよう。これは、旧敵国条項の存在などからも容易に読み取れる。
ここに、敗戦国である日本(さらにいえばドイツ)が加わるということは、“勝ち組クラブ”=戦勝国の組織としての国連の終結を意味する。
国連を改革するにしろ、潰すにしろ、この意味合いは大きい。
国連の本質を変えてしまうという話だからだ。
以上のことから、私は日本の国連安保理常任理事国入を支持する。
これが実現すれば、日本国内でも、戦後のくびきから逃れようとしている今、国際社会においても、戦後のくびきから脱することは非常に重要であり、その象徴的なものなるであろう。
Apr 15, 2005
“スター”裁判官
「非嫡出子も日本人」 国籍法規定は違憲 東京地裁(産経新聞4月14日=Sankei Web)という判決が出た。
現行の国籍法によれば、第2条により父母のいずれかが日本国民である場合、日本領内で生まれているが父母不明・父母が国籍を有しないときに、日本国民となる、とされている。
また、第3条で、父母いずれかが日本国民で、出生前に認知されれば、日本国籍を取得することができるとされている。
出生前認知と出生後認知で扱いが異なること。
民法では、内縁関係でも権利を認め、嫡出子と非嫡出子との区別をなくす方向で順次改正していること。
そういうことを考えれば、この判決はわからないでもない。
ただし、“誰を日本国民とするか”というのは、国家の根幹に関わることでもあり、単純に違憲と言い切ってしまうのは違和感がある。
仮に国籍法を改訂するにしても、認知は必須であろうし、“偽装認知”“強制認知”といった問題を防ぐための手続が必要であろう。
で、本題はここからだ。
今回の判決を下した鶴岡稔彦裁判長は“市民”の間では、難民問題で甘い判断をする裁判長として“スター”であるらしい。
以下、今までの判断を列挙してみよう。
・難民認定を求めるイラン人青年に一審判決が出るまでの間、強制退去・収容の執行停止
・クルド人の難民不認定処分取消
・アフガニスタン男性の難民不認定処分取消、退去強制令書取消
・ボビー・フィッシャーの一審判決まで国外退去を差止
・退去強制処分を受けたタイ人女性の処分取り消し
・ラーメン店を経営する中国人男性の収容・送還停止
かつて、東京地裁には、「行政敗訴」連発の藤山雅行裁判長がいて、行政を訴える時には、彼にあたるように訴状を何通も用意するとまでいわれた人だった。
どうやら、鶴岡裁判長も同様の“スター”らしい。
“個人”によって判決が、あまりに偏り、また、他者と異なるというのは、一種の恣意的運用でもあり、法的安定性を欠くのではないだろうか。
彼らに共通するのは、個別の事案で、“被害者”の人権・救済を重視するあまり、その法の目的効果や体系を軽視しすぎていることにある。
そのことは、法的安定性や、予見可能性の確保を害し、結果、法に対する信頼を失わせているのではないだろうか?
Apr 14, 2005
どっちが本当?
「自衛隊活動に失望」=インフラ支援遅れ批判-サマワの知事(時事通信4月14日=Yahoo! NEWS)によれば、サマワ知事は「自衛隊のこれまでの活動には失望した」と述べたという。
一方、「日本の支援に失望」 サマワの知事が不満表明(共同通信4月14日=Yahoo! NEWS)によれば、「日本の復興支援の成果には失望している」と述べたという。
前者は、文字通り自衛隊の活動が不十分だと批難したことになるが、後者ならば、自衛隊の活動とは別の問題として、日本という国家からの支援が不十分であると批難していることになる。
さて、どっちが本当だろうか?
短い記事だが、両者に共通しているのは、知事が日本の経済力による大規模事業を求めたという点だ。
だとすると、自衛隊の活動に失望、というのは、違和感がある。自衛隊が民間投資をもってくるわけでも、ODAに決定権があるわけでもないのは、日本政治に詳しくなくてもわかることだ。
となると、実際にどういう単語を使ったかどうかは別として、文脈としては「日本のこれまでの支援に失望」というように発言はとるべきではないだろうか。
時事通信の報道には、意図的に自衛隊とその派遣を決定した政府の評価を貶めようというものを感じる。
Apr 13, 2005
第3セクター反日デモ
中国で反日デモが相次いでいる。
中国首相「日本政府は深い反省を」(産経新聞4月12日=Sankei Web)では、「アジアの人々の強い(拒否)反応を受け、日本政府は深く反省するはずだ」と温家宝・中共首相が述べたそうだが、アジアというのは中国と韓国しかないのだろうか。
温首相が滞在しているのは、インド・ニューデリーだが、世界第二位の人口をもちアジアの一角を占めるインドでも反日でもがおきているのだろうか? そうであれば、是非とも、新華社でも報道してほしいものだ。
閑話休題。
今回のデモは官製なのか民製なのか、あるいはどこまでが政府のコントロールで、どこから暴走なのか。様々な見解があるようだが、私も推理してみたいと思う。
まず、人数から見ると、北京で1万人。広州では当初三千人が、デモ中(道路移動中?)に多くが合流して三万人になった。
では、この数字はいかばかりのものなのか?
GLAYの北京ライブは3万5千人。これからすると、北京の人数はかなり見劣りする。広州でもそれには及ばないが、同時期におきた別の“暴動”と比較してみよう→中国で3万人暴動 公害に抗議、2人死亡(産経新聞4月12日=Yahoo! NEWS)。これは、公害への抗議が暴動となったものだが、中国浙江省東陽の“村”でのことだという。都市部より人口は少ない筈である。
となると、広州は当初2千人だったということからも考えて、政府が動員をかけたような人数ではないと見る(それなら、もっと動員している筈だ、ということ)。
つまり、発端は、確かにWebサイトなどの呼びかけによる「自発的」なものだったと私は考える。
しかし、中国には言論の自由も集会の自由もない。この反日集会を許可(黙認)したということは、そこに利用価値を見出したからに他ならない。
さて、広州のデモは途中で人数を増やしたというが、これは多分に野次馬的なものが入っていると思われる。
日系スーパーの前で警察部隊ともみ合いしていたが、日本の安保闘争を思い出していただければわかるように、本当に万単位の群集が強行突入をはかろうとしていたら、あんなものではすまないからだ。つまり、本当に“行動”をしていたのは、相変わらず2千人程度だったのではと予想する。
ただ、“観客”が想像以上に増えてしまい、引っ込みがつかなくなった。かといって、スーパーに対して本当に強行突入をしたり、破壊につながるような投石をすれば“やりすぎ”になってしまう。そこで、妥協案としてとったのが「看板破壊」で、あれはデモ(暴動)を幕引きさせるための、おそらくは中国治安部隊による「やらせ」であったのではないかと想像する。
なにせ、スーパーは翌日以降は平常通り営業し。現地の中国人も買い物に訪れているそうだから、本当に日系企業に地元の群集が恨みがあるとは思いがたい。「一目で日系企業とわかるところの前でのデモ」というわかりやすい「絵」が必要だったということではないか。
一方、北京でのデモは大使館への投石という展開になった。
この投石開始は官製誘導と予想する。
官の意に沿わない投石であったなら、すぐさま警察に取り押さえられていた筈だ。
最初の数人の段階で強行的に拘束してしまえば、それが予防となる(そのまま“警察”との衝突に発展する可能性はあるが)。以前、大使館への投石に対して、そうした鎮圧方法を中国は行っている筈だ。が、それをしなかったのは、容認・誘導したということだろう。
ここにおいても、大使館に突入されたりしては“やりすぎ”になる。
かといって、あまりもめて、警察(=政府)vsデモという形になるのはよくない。ただ、ダラダラと歩いているだけでは「絵」にならない。
そこで、投石という「絵」をかいたわけである。
では、この「絵」はなんのために必要だったのか。
中国本土においては、デモの報道がほとんどなされていないということであるから、中国国内向けではない(一部でいうように「国内不満勢力のガス抜き」であるならば、もっと国内向けの大きく報道されると思われる。よって、私はガス抜きという見方には重きをおかない)。
となれば、国外向け──当然、対象である日本向けの絵だったというこだ。
その狙いは、冒頭にかかげた「アジアの人々の強い(拒否)反応を受け、日本政府は深く反省するはずだ」という言葉に集約されているのではないだろうか。
“民衆”の“激しい怒り”を見せつけ、日本政府に言うことを聞かせようとしたのだろう。
だが、小泉─町村は、今までの日本首脳とは違い、それに屈しなかった。日本国内でも、思いのほか、中国に対する反発が厳しいし、米英からも中国の治安体制を非難する様相になってきた。
それで、あわてて日本のマスコミが日本大使館の被害状況を報道するのを妨害してみたり、しつこく「原因は日本側にある」と発言したりしているのだろう。
しかし、今後の日本も強硬姿勢だけでいけるかという問題はある。
なにせ、このデモは単に民衆の絵を見せ付けるだけが目的ではない。「いざとなったら、こいつらを直接、日本企業の工場に差し向けるぞ」という脅しでもある。中国へ工場を進出させてしまった多くの日本企業がある以上、人質をとられているも同然なのだ。
少し長くなったが、つまるところ今回のデモは、民製デモを官側がうまく利用・誘導、おきた事も想定内(誘導内)だったという、半官半民、第3セクター方式とでもいえるものだったのではないだろうか。
ただし、今後とも“想定内”にとどまり続けるかどうかは不透明だ。
暴走の危険性はかなり強く孕んでいると、私は考える。
Apr 12, 2005
ローマ法王の葬儀
4月2日に死去したローマ法王ヨハネ・パウロ2世の葬儀が8日に行われた。
この葬儀に日本からは川口順子首相補佐官が参列したが、これに対して、もっと“大物”を参加させるべきだったという批判の声がある。
私もそうした意見に賛成だ。
各国はどうだったかというと、米はブッシュ大統領、ブッシュ元大統領、クリントン前大統領、ライス国務長官ら、仏・シラク大統領、英・ブレア首相、独・シュレーダー首相・イラン・ハタミ大統領、シリア・アサド大統領、アナン国連事務総長、タイ・スラキアット副首相、シンガポール・ジャヤクマル副首相、イスラエル・シャローム副首相といった元首級の面々だ。
厳密にいえば、英は(法王と喧嘩して勝手につくった)英国国教会であるし、米は(カソリックと対立して新天地を求めた)プロテスタントの国である。
それでも、大統領・首相を送り込んできているのは、それだけキリスト教というものが、それらの諸国の背骨であることを示しているのではないだろうか。
確かに日本はキリスト教国ではないし、キリスト教信者は(カソリックとプロテスタント、諸派を合計した上でも)圧倒的な少数派である。
しかし、ヨハネ・パウロ2世の業績もさることながら、欧米先進国の精神的バックボーンであるキリスト教の最大ともいえる弔辞を、日本が軽んじられたとうけとめられると厄介ではないだろうか。
そして、もう一つ。
法王の葬儀に参加することに、国内左派は、おそらく文句をつけないだろう。
となれば、彼らが靖国神社参拝や、天皇陛下の宗教行事に対して唱える“政教分離違反”というスローガンが、ためにする反対であり、ダブルスタンダードであることが、如実に晒されるいい機会だっただろう。
それがもったいないと思うのだ。
Apr 08, 2005
韓国のメンタリティの不思議
島根県が「竹島の日」を制定したことによる韓国のヒステリックな抗議は、まだ続いている。
先の日韓外相会談(→)でも、韓国外相は批難を繰り返した。
しかし、町村外相は毅然としてそれを跳ね除けたとのことであり、誠に結構なことだ。
もっとも、「両国の専門家による歴史共同研究を今年夏以降も継続」「ロシア・サハリンに残る韓国人支援」「韓国人被爆者の救済」については、疑問も残るところ。このあたりは、特にその「名目」を今後とも注視したい
ともあれ、同じ会談中では、自由貿易協定(FTA)交渉の早期再開や、日中韓3カ国首脳会談実現、小泉首相訪韓なども合意したとしている。これは、韓国政府の「反日」が、主として国内向けの政権浮揚策であることを露呈してしまったといってよいだろう。
韓国政府(あるいは官僚か)も日本と経済的に切れてしまえば、韓国経済にとって致命的であるということはよく理解しているのだろう。
それにしても、たかだか(といっては失礼だが)一地方自治体が制定した条例ごときで、なぜ、あんなにエキセントリックになるのだろうか。
比較の対象として、同じように日本が周辺諸国と領有権で揉めており、相手国に実効支配されているという地域──北方領土をあげてみよう。
こちらは、昭和56年に、「日本政府」が「北方領土返還運動を盛り上げる為」に2月7日を「北方領土の日」を制定している。
だが、ソ連(当時)の反応は醒めたものである(もしかしたら、通り一遍の「遺憾の意」ぐらいは表明したのかもしれないが)。
今日でも、この日には式典などが行われているのだが、ロシアがそれに激しく抗議するなどということも聞いたことがない。
こうした“落差”を見るにつけ、韓国の反応の異常ぶりがわかろうというものだ。
だから、日本は、これをまともに相手せずにいなしてやるのが最良の手段ではないだろうか。
ただし、海外でのプロパガンダ戦には負けてはならないが。
Apr 07, 2005
朝日新聞報道の奇妙さ
今にはじまった話ではないが、朝日新聞の報道の“突出ぶり”が目立つ。
昨日から、京都府内の宗教法人創設者が、信者の複数の少女に性的な乱暴を繰り返していたとして、逮捕された事件が報道されている(→産経新聞4月6日=SankeiWeb)。
容疑者は、報道(宗教法人HPからの引用にすぎないが)によれば、日本で生まれ、韓国の神学校に留学という形をとっており、いわゆる在日韓国人らしい。韓国籍をもっているという報道もあった。
布教は通名なのか日本名で行っていたようだが、そういう事情であるため、毎日新聞の報道を含めて、容疑者を本名である韓国名で報道している。
が、これが、朝日新聞の報道となると一味違う。
記事中には、日本名しか出てこず、韓国籍であることも触れられていない。
なぜ、事実を隠蔽するのだろうか?
この事件の場合、韓国籍=(在日)韓国人が容疑者であることは事実である。他国籍人による事件報道の際にも、全て国籍を報道しないというなら一貫性があり、納得はしないが理解のしようはあるだろう。
だが、例えば、この報道などでははっきりと国籍が明記されている。
となれば、ことさらに特定の国籍を特別扱いしているようにしか見えない。
かつて、ヒトラーのプロパンガンダを担当したゲッペルス宣伝相は「プロパガンダとは、嘘をつくことではない。真実の一部を語って、他の真実を語らないことだ」と語った。
朝日新聞の行っている報道は、まさにこの言葉にあてはまる。
そして、こうした報道をされて誰が最も得をするのかを考えれば──誰のためのプロパガンダかは一目瞭然であろう。
Apr 06, 2005
新教科書を考える
来年度からの新中学教科書の文部省検定が終了し、結果が発表された。
歴史、公民の教科書に注目は集中しているが、私は別の観点からながめてみたい。
それは、「学習意欲減退」への対応と称した構成についてである。
各社の教科書は、学力低下の要因の一つとして、学習意欲減退をあげ、それを補うべく「興味をもたれる教科書」を目指したという。
まだ、教科書の実物を見たわけでないから、報道からの印象ということを前提として言うが、教科書が生徒に媚びるようなものなら、そんなことをする必要はない。
わかりやすいテキストを目指すことは当然としても、音楽に流行歌をのせてみたりするような方向は賛成できない。
かつて、今よりずっと地味で“つまらなかった”教科書でも学習意欲は、今より高かった。
今はTVゲームなどがあるせいだというが、時代時代で、熱中した遊びはあった。
自分ができる科目や、体育、理科の実験などは面白かったが、総体的にいえば、勉強は嫌いなものだった。
私は、もっと別のところに問題があると思っている。
一つは、悪平等主義だ。
いきすぎた結果平等主義のことを指して、私はこういっている。
すなわち、いくら学習をしても、それが評価されずに、結果が平等にされてしまっては、学習意欲もなくなろうというものだ。
もう一つは、努力軽視主義だ。
バブル時期などに“一生懸命は格好悪い”とマスコミを中心に喧伝された、その名残だ。
学問に王道なしといわれるが、勉強とは地道に少しずつ積み上げていくものであり、愚直な努力が必要とされる。
それが「格好悪い」と言われているのだから、学習意欲はわかないだろう。
そして、最後は学歴社会への批判である。
これは前述の悪平等主義とも絡んでくるのだが、かつてのように、いい大学に入ればいい会社に入れて、一生安定するという社会ではなくなってきた。
このことは、学習への意欲付けを失わせているのではないか。
教科書も、学校の勉強も、つまらなくて構わないと思う。 それでもやらなけばならない、つまらないように見えることを重ねていくことで初めて得られるものがある、ということ自体が広い意味での教育ではないだろうか。 そして、学習意欲を向上されるのは、教科書の仕事ではなく、社会の責務ではないか。 学校や教科書といったものに矮小化し、小手先の工夫をしても何もかわらないどころか、事態を悪化させるだけだ。
Apr 05, 2005
朝鮮半島と日本
韓国外交はさらに迷走している。
盧武鉉外交 日米韓同盟離脱を志向?(産経新聞4月5火=SankeiWeb)
韓国が「歴史企画団」 大統領直属 領土など反日推進(産経新聞4月5火=SankeiWeb)
彼らが自由陣営脱退・中華同盟(?)入りを目指すというのであれば、それは韓国自身の選択だ。 ただ、ウォンと円のスワップ、日本からの工作機械・コアパーツの輸入、在日韓国人からの送金など、対日関係をあまり悪化させると韓国にはリスクが大きすぎるのではないだろうか。それとも、日本はそこまでしないだろうとタカをくくっているのか……? あるいは、この動き自体がポーズで、日米中のそれぞれからできるだけ多くを引き出そうとしているのか?
いずれにせよ、日本は国内としてはまともに取り上げるべきではなく、粛々と日本の主張を貫き通していけばよいだろう。
ただ、国外においては、プロパガンダ戦に負けないように行動していく必要はある。
ともあれ、日本の安全保障上、朝鮮半島の南半分は非常に重要である。
日清戦争・日露戦争に至る大きな理由であったし、マッカーサーも日本防衛における朝鮮半島の重要性を朝鮮戦争で認めた。日本にとって、最低でも朝鮮半島の南半分が中立であることが必要なのである。
例えば、博多・釜山は高速フェリーで3時間という近さである。
逆に言えば、釜山に陸軍をおけば、博多に3時間で上陸できるということだ(実際にはそう単純ではないが)。これでは、海上で捕捉・撃破することは困難である。
航空部隊に至っては、いわずもがなだ。
つまり、韓国が軍事的敵性国家となった場合、日本はファーストアタック、それも強力なものを想定しなければならない。
となれば、それによって相当の被害をうけた上でも、反撃できるだけの正規軍戦力を整え、また、容易に潜入できるであろう特殊部隊、工作部隊に対応した戦力を整えばならない。
これは、もちろん、今の自衛隊の戦力より大きなものになる。
だが、軍事的に日本の防衛に必要な戦力となるのだ。
韓国の行動は、彼らが最も嫌っている(らしい)日本の軍備増強に繋がっているという自己矛盾まで、彼らはわかっているのだろうか?
Apr 04, 2005
郵政民営化の肝
郵政民営化法案が山場を迎えたと報道されている。
民業の参入のハードルだの、その時期だのと報道がとびかっているが、その改革の本質はなにか、という論議が疎かのような気がする。
私が思うに、郵政民会の肝は、郵便貯金の民営化にある。
郵便貯金は残高が230兆円(平成15年度末)。単独で日本最大の預金残高をもち、個人貯蓄でみれば民間銀行全てと匹敵する預金残高をもつ。
これが、様々な形(国債、財投債、融資など)で官製事業(特に特殊法人)に投入されてきた。
そして、住宅金融公庫に見られるような無駄遣いを許し、最後は税金投入による後始末という結果を招いた。
郵政民営化により、これを阻止できるのかどうか。
そしてこれはまた、国家財政の効率化・健全化、官製事業の見直しに繋がるというだけでなく、族議員・地域利益誘導型政治の影響力を弱めることになる。
これは、まさに、国民が望んでいることではないだろうか?
だからこそ、この郵便貯金の流用を許さないようになるかどうかが、最大のポイントであるように思うのだ。
Apr 01, 2005
ペイオフ解禁
本日よりペイオフが解禁となった。
しかし、一つの銀行の合計(決済性預金=当座預金などを除く)で元本1000万円までは保護される。
総務省統計局の家計調査(平成15年)によれば、勤労者世帯の貯蓄現在高は1292万円。ただし、最も多いのは、200万円未満の16.5%、中位数(世帯数が半々になる真ん中の数字)は808万円。1000万以下の貯蓄者は58.7%をしめる。
しかも、保護されるのは元本ベースであるし、決済性預金が除かれるので、今回の対象外となる割合はもっと高く、また、銀行を2つに分けていれば1000万+1000万で2000万までが保護対象となる。
と、考えれば、今回のペイオフ解禁は大部分の勤労者世帯にとっては、ほとんど関係ないのだろう。
預金者冷静、混乱の気配なし=1日にペイオフ全面解禁(時事通信3月30日=Yahoo! News)とあるが、混乱のしようがないのだ。
