Mar 31, 2005
堀江氏の能力……
ライブドアの堀江社長が、韓国・中央日報の単独インタビューにこたえた。
あまりにも疑問点満載なので、列挙してみよう。
■「日本の大企業の成長が止まっているのは韓国の三星のような強力な指導者(オーナー)がいないためだ」
ダイエー・中内氏、西武・堤氏、セゾン・堤氏、日本マクドナルド・藤田氏。
みんな強力なオーナーとして経営にあたったが、業績的に晩節を汚した。
もちろん、日産・ゴーン氏のように(オーナーではないが)強力な指導者として成功した例もある。
企業の成長とは、そんなに単純なものではないのは、少し例をあげればわかることだ。
■韓国の情報技術(IT)レベルは日本よりも一枚上であり、造船、鉄鋼、繊維などもすでに韓国に追い越された状態
韓国がウイルスで多くのネットワークが機能不全に陥ったのはつい去年のことだった。それでも、ITについては、韓国が進んでいる面も確かにある。
しかし、製造業においては、その製造機械やコアとなる部品の多くを日本からの輸入に頼っていることはご存知ないらしい。この事は対日貿易赤字額からもわかる。
■ブランドをまず広く知らせる戦略で市場を狙うべきだ
こちらでは、球団買収まで提案していると報道されている。
だが、堀江氏自身、例にあげている自動車でいえば、ブランドが売れない主要な理由ではあるまい。
世界第四位から三位を狙おうという大会社・トヨタが国内にあり、ホンダ以外は外資系が入っているとはいえ国内メーカーも有力である。大きなアドバンテージをもたない限り、海外メーカー(韓国に限らない)がシェアを拡大することは困難であることは、容易にわかるだろう。
日本車が海外(特に米国)で売れ始めたのは、オイルショックにより、その省エネ性能が欧米車に対して大きなアドバンテージになったからだ。
■日本のメージャーブランドのうち、経営不振に陷った企業を引き続き買収すればいい。
これは、韓国の経済戦略としては理解できる。
が、反日国家として政府が大きく舵をきった韓国に、日本の企業買収をすすめる神経は、日本人として理解できない。
危機に対する感覚が希薄なのか、国際感覚が欠如しているのだろう。
日本でも兼韓が広がりつつある中、自分の商売にとってもマイナスだと思うが。
■新しい教科書を作ったからといって世の中は変わらない
「新しい歴史教科書」などに対しての思想的な批判なのか? そうだとしたら、私は思想的に支持できない。第一、自分の思想に会わないからつぶしてしまえ、という非健全な考え方に思える。
教育では何も変えられないという批判なのか? そうだとしたら、大いに間違いである。教育というものがいかに国家を左右するかの例は枚挙に暇がない。
いずれにせよ、「友好的提携」を呼びかけている企業グループの、思想的な柱となっているものを批判するのは、企業人として致命的なミスであろう。
つまり、堀江氏は経済人(言い方をかえれば、金脈をみつける嗅覚。そしてそれを勝ち取るパワー)としては優れているといえる。
だが、その企業経営者としての能力には疑問符がつくし、政治・社会をみる能力については、全く期待できない。
なにより、わざわざ、このような事を韓国紙に話すということが、最大の疑問だ。
私はこれまで、産経のオピニオンを守るという立場からのみ、反堀江氏という立場を表明した。
しかし、これからは、明確に反堀江氏という立場にたつ。
このような人間には、経済もマスコミも任すことはできないからだ。
Mar 30, 2005
靖国神社の桜の下で『同期の桜』を歌う会
「靖国神社の桜の下で『同期の桜』を歌う会」というのをご存知だろうか?
文字通り、靖国神社で軍歌を歌う会である。
毎年、4月第一週土曜日、午後三時から四時に開催される。今年も4月2日に開催予定である。
この会は今年で21回を数え、大村益次郎銅像前でステージを組んで行われるもので、ちゃんと神社側に許可をとって行われているイベントだ。
毎年、花見の中で行われる(ちなみにいわゆるシートを引いての花見は、靖国神社の場合、境内のテキヤが場所取りしてお金を要求するので、あまりお勧めしない)ので、正確な参加人数はわからないが、3桁以上の人数は参加しているのではないだろうか。
参加者は、最近は若い人もちらほら見られるが、やはり中心は旧帝國軍人の方々。
軍歌がかかると、全員で大合唱となる。
毎年、これに集まって、終了後、戦友会などというパターンも多いようだ。
かつて一億総反省などといわれ、戦争の悲惨さばかりが喧伝されているが、こうして靖国神社でかつての英霊をしのびつつ、軍歌という形で当時を偲ぶ人々が少なからぬ人数がいるということも、また一面なのである。
Mar 29, 2005
男性専用車両を!
女性専用車両が、首都圏でも一斉導入されるそうだ。
なにか女性を区別して分けることに、性差はないと啓蒙されているジェンダーフリー活動家の皆様からは反対運動はないのだろうかと素朴な疑問はあるが、それはともかく。
このままでは男女の平等にも反する(笑)ので、是非、男性専用車両も導入してほしい。
真面目な話、痴漢冤罪が社会問題になりつつある。
満員電車で通勤する男性サラリーマンにとって、人事ではない。それを利用したゆすり・たかりまで発生しているほどだ。
自己防衛のため、両手を上にあげていても、股間を押し付けたとでもいわれかねない。
根本的解決は、一局集中排除と交通網再整備による殺人的混雑解消なのだが、それは現実味がない。
痴漢犯罪を防ぐための女性専用車両導入と、痴漢冤罪を防ぐための男性専用車両導入と、同時にすすめるべきではないだろうか。
Mar 28, 2005
ライブドアが社員にきらわれた訳
ニッポン放送への敵対的買収を行ったライブドアが、社員の総スカンのみならず、出演者・外部スタッフからも批判されている。 敵対的買収なのだから、反発はあって当たり前なのだが、それにしても、ライブドアのやり方はうまくない。
■現場介入への危機感
堀江氏はインタビューなどで、エンターテイメント路線の強化などをうたっているが、これは経営陣によって現場へ介入が行われるのではないかという疑念をもたらしたのではないか。
■既存メディアが滅ぶという言葉との矛盾
堀江氏は既存のメディアは滅び、インターネットがとってかわるという主旨の発言をしている。にもかかわらず、ラジオ・TV局を狙うのはどうしてか。彼の言葉が欺瞞でなければ、既存マスコミのもつコンテンツだけが狙いで、それを引き抜けたら用済ということにもなる。
また、ラジオ・TVを「殺す」と表現した人間に、経営をしてもらいたくないのは、社員としては当然であろう。
■踏み台にされた
堀江氏の特に当初の発言はTVへの言及ばかりであった。しかし、ニッポン放送はラジオ局。これでは、TVほしさに踏み台にされたとニッポン放送社員が思っても当然だろう。
■現行の仕事の否定
堀江氏は、正論路線や教育へのフジサンケイの取り組みを、意味がないものとしているようだ。だが、特に正論路線は、北朝鮮拉致問題、林彪死亡報道など一定の成果をあげている。北京から産経新聞特派員がいち早く追放されたり、北朝鮮から記者の入国を拒否されたりといった事は、それだけ、彼らの痛いところを報道してきたという証明のようなもので、彼らの自負ともなっていよう。
今までの自分の仕事を否定されて、喜ぶ人がいるわけもない。
■存在意義への批判
堀江氏は、産経の正論路線(オピニオン路線)を異色とするとともに、意味がなく、縮小すると明言した。
しかし、産経新聞は、昭和38年に水野成夫が社長に就任して以降、保守路線をとり、昭和45年の「産経信条」により明確な「正論路線」を確立した。じつのところ、朝日・毎日・(当時の)読売を中心とする左傾報道に対して、保守報道を求める政財界の要望により誕生したのが水野以降の産経新聞なのである。
従って、フジサンケイグループの“保守本流”からすれば、正論路線の否定は、すなわち、産経新聞のレゾンデトールの否定ということになる。
このエントリはフジサンケイ側の主張を支持する目的のものではない。実際、個々のフジサンケイの仕事に対する評価は立場によってわかれよう。
しかし、自分の仕事に対してプライドをもつ、あるいは、会社に対するロイヤリティをもっている人間であれば、もし、自分の会社のことが、このように言われたのであれば、敵対的買収でなくても、怒りを感じるのではないだろうか?
堀江氏の言動は、本当に友好的提携をしたりしたいのであれば、マイナスとしかいえないようなものだ。
自身の事業のためにも、もう少し、うまい立ち回りを覚えたほうがいいのではないだろうか?
Mar 25, 2005
人権擁護法案不安派としての反対意見
某弁護士Blogのコメント欄で、人権擁護法案について書き込みをいくつかした。
その過程で、自分自身のまとめとなった側面もあり、あらためて人権擁護法案に私が反対している理由をまとめてみたい。
■言論の自由の確保
言論の自由は、民主主義の根幹をなすものであり、それに制限を加えるような法は、他の法より以上に慎重になるべきである。
■歯止めの不在
人権委員会は実質的に同じ組織内で、告発・認定・強制措置(調査・公表)が可能。これは、警察が強制捜査を行うには裁判所の令状が必要といった形で歯止めがあることと比べると、歯止めがなさすぎるのではないか。
一方で、法務大臣は管理監督権限がなく、委員の身分保障条項もあるため解任もリコールもできない。あまりに恣意的運用を可能にする余地が大きすぎる。
「人権調整委員たるに適しない非行があると認められるとき」には解任できるとされているが、恣意的運用がその非行にあたると判定することは、人権委員会が独立性をできるだけ保とうとしている法案内容から考えても難しいと思われる。
また、人権委員会が5人(うち常勤は2)で、最大二万名の人権擁護委員からの告発その他をきちんと吟味して管理できるとは、とても思えない(もし、仔細に検討するのであれば、迅速な対応はのぞめなくなり、法案の異議は薄れることになる)。これは、人権委員より任命規定の緩い人権擁護委員の恣意的運用を許すことになるだろう。
■救済(対抗)措置がない
人権委員会の活動に対して、告発・調査対象になった人物に対する救済(対抗)措置がない。もちろん、裁判によれば可能であるが、一般の社会人(しかも、人権委員会により告発されていれば、その時点で社会的制裁をうけると想像される)は、裁判を維持すること自体が難しく、また、長期化しがちな裁判では、人権侵害として公表された場合の、社会的制裁の実質的な回避・回復は難しい。これは、人権委員会が自らの組織内だけで“権力行使”できることに比べると不公平すぎる。
■法的安定性を欠く
「人権」という言葉はあまりに範囲が広く、具体的にどのような言論が人権侵害になるのかという予見が困難であり、このことは人権委員会に恣意的運用を可能にする余地を大きく与える。同時に、実際に告発・公表に至らなくても言論を萎縮させる可能性が高い。
例えばサルマン・ラシュディ氏の『悪魔の詩』は、日本人から見れば、ただの小説にすぎないが、イスラム教への冒涜であるとして、ホメイニ師から懸賞金付でラシュディと出版社は死刑宣告をされた。立場が違えば、言論に対する評価は全く異なるものになる例であろう。イスラム教徒にとって『悪魔の詩』は自分達の宗教への冒涜として「人権侵害」であるということができるのだ。
このように推し進められていくと、一人でも「人権侵害だ」と強弁すれば、なんでも人権侵害だと認定されて、言論が封殺されてしまうのではないかという疑念がぬぐえない。
過去(現在でも)人権の名のもとに、言葉狩りが行われたり、講演会が中止に追い込まれるなど、実質的な言論弾圧に近いことが行われている。であるから、「人権」というあいまいな定義での言論の取り締まりを危惧する。
これらの、後者3つ(歯止めの不在、救済(対抗)措置がない、法的安定性を欠く)がセットなっているのが大問題である。
人権委員会による公表(情報がどの程度のものか判然としない。二次的差別を防ぐなどと理由をつけて、実際の言動が公開されない可能性すらある)の時点で、社会的制裁をうける可能性が高い。過去、ロッキードの「灰色議員」のように、起訴もされていないのに、以後、ずっと世間の批判にさらされた例があり、日本においては、社会的制裁は「推定有罪」により行われているといえるからだ。
特に実力行使を行うような集団に対する差別であったり、情報を総会屋が入手したりすれば、「なぜ人権侵害者を雇用しているのか」などと所属会社(組織)を追及することは十分に考えられる。となれば、公表された時点で、「くさいものには蓋」とばかりに、内容をよく吟味されないまま所属会社からの解雇などの社会的制裁を受けていくことになるだろう。
従って、恣意的運用により、実質的に随意に社会的制裁を人権委員会がコントロールできることになる。一般の人間は社会的制裁を受ければ致命傷であるから、実質的な言論封殺が可能となる。
人権委員会自身は勧告・公表しかできないとしても、それに伴う社会的制裁まで考えなくては手落ちである(そもそも、法案において、公表は懲罰的公表として位置づけられている)。
そして、恣意的運用を監視・批判しようにも、人権委員に対する批判自体が封殺されてしまえば、不可能となる。
私は、反対派の中で唱えられている解同の悪用の意図については問わない。
それは政治的文脈の問題であり、私は法案の法学的・社会的文脈で不安視しているからだ。
ただ、人権擁護を標榜しているような組織が悪用の意図をもっていたと“仮定”した場合、現行法案では、その悪用を容易に許してしまうのではないかということを恐れている。
「性善説」にたちすぎた法案で、言論の自由という民主主義の根幹に対する規制となる法案なのだから、もっと慎重に、「性悪説」よりにたつべきではないだろうか。
人権擁護法案不安派としての反対意見
某弁護士Blogのコメント欄で、人権擁護法案について書き込みをいくつかした。
その過程で、自分自身のまとめとなった側面もあり、あらためて人権擁護法案に私が反対している理由をまとめてみたい。
■言論の自由の確保
言論の自由は、民主主義の根幹をなすものであり、それに制限を加えるような法は、他の法より以上に慎重になるべきである。
■歯止めの不在
人権委員会は実質的に同じ組織内で、告発・認定・強制措置(調査・公表)が可能。これは、警察が強制捜査を行うには裁判所の令状が必要といった形で歯止めがあることと比べると、歯止めがなさすぎるのではないか。
一方で、法務大臣は管理監督権限がなく、委員の身分保障条項もあるため解任もリコールもできない。あまりに恣意的運用を可能にする余地が大きすぎる。
「人権調整委員たるに適しない非行があると認められるとき」には解任できるとされているが、恣意的運用がその非行にあたると判定することは、人権委員会が独立性をできるだけ保とうとしている法案内容から考えても難しいと思われる。
また、人権委員会が5人(うち常勤は2)で、最大二万名の人権擁護委員からの告発その他をきちんと吟味して管理できるとは、とても思えない(もし、仔細に検討するのであれば、迅速な対応はのぞめなくなり、法案の異議は薄れることになる)。これは、人権委員より任命規定の緩い人権擁護委員の恣意的運用を許すことになるだろう。
■救済(対抗)措置がない
人権委員会の活動に対して、告発・調査対象になった人物に対する救済(対抗)措置がない。もちろん、裁判によれば可能であるが、一般の社会人(しかも、人権委員会により告発されていれば、その時点で社会的制裁をうけると想像される)は、裁判を維持すること自体が難しく、また、長期化しがちな裁判では、人権侵害として公表された場合の、社会的制裁の実質的な回避・回復は難しい。これは、人権委員会が自らの組織内だけで“権力行使”できることに比べると不公平すぎる。
■法的安定性を欠く
「人権」という言葉はあまりに範囲が広く、具体的にどのような言論が人権侵害になるのかという予見が困難であり、このことは人権委員会に恣意的運用を可能にする余地を大きく与える。同時に、実際に告発・公表に至らなくても言論を萎縮させる可能性が高い。
例えばサルマン・ラシュディ氏の『悪魔の詩』は、日本人から見れば、ただの小説にすぎないが、イスラム教への冒涜であるとして、ホメイニ師から懸賞金付でラシュディと出版社は死刑宣告をされた。立場が違えば、言論に対する評価は全く異なるものになる例であろう。イスラム教徒にとって『悪魔の詩』は自分達の宗教への冒涜として「人権侵害」であるということができるのだ。
このように推し進められていくと、一人でも「人権侵害だ」と強弁すれば、なんでも人権侵害だと認定されて、言論が封殺されてしまうのではないかという疑念がぬぐえない。
過去(現在でも)人権の名のもとに、言葉狩りが行われたり、講演会が中止に追い込まれるなど、実質的な言論弾圧に近いことが行われている。であるから、「人権」というあいまいな定義での言論の取り締まりを危惧する。
これらの、後者3つ(歯止めの不在、救済(対抗)措置がない、法的安定性を欠く)がセットなっているのが大問題である。
人権委員会による公表(情報がどの程度のものか判然としない。二次的差別を防ぐなどと理由をつけて、実際の言動が公開されない可能性すらある)の時点で、社会的制裁をうける可能性が高い。過去、ロッキードの「灰色議員」のように、起訴もされていないのに、以後、ずっと世間の批判にさらされた例があり、日本においては、社会的制裁は「推定有罪」により行われているといえるからだ。
特に実力行使を行うような集団に対する差別であったり、情報を総会屋が入手したりすれば、「なぜ人権侵害者を雇用しているのか」などと所属会社(組織)を追及することは十分に考えられる。となれば、公表された時点で、「くさいものには蓋」とばかりに、内容をよく吟味されないまま所属会社からの解雇などの社会的制裁を受けていくことになるだろう。
従って、恣意的運用により、実質的に随意に社会的制裁を人権委員会がコントロールできることになる。一般の人間は社会的制裁を受ければ致命傷であるから、実質的な言論封殺が可能となる。
人権委員会自身は勧告・公表しかできないとしても、それに伴う社会的制裁まで考えなくては手落ちである(そもそも、法案において、公表は懲罰的公表として位置づけられている)。
そして、恣意的運用を監視・批判しようにも、人権委員に対する批判自体が封殺されてしまえば、不可能となる。
私は、反対派の中で唱えられている解同の悪用の意図については問わない。
それは政治的文脈の問題であり、私は法案の法学的・社会的文脈で不安視しているからだ。
ただ、人権擁護を標榜しているような組織が悪用の意図をもっていたと“仮定”した場合、現行法案では、その悪用を容易に許してしまうのではないかということを恐れている。
「性善説」にたちすぎた法案で、言論の自由という民主主義の根幹に対する規制となる法案なのだから、もっと慎重に、「性悪説」よりにたつべきではないだろうか。
Mar 24, 2005
日本文化チャンネル桜を応援しよう
現在、保守派のマスコミといえば、産経・読売を筆頭に、文藝春秋、SAPIO、Willが続くというようなところであろうか。 しかし、もう一つ、あまり目に触れることは少ないながら、日本文化チャンネル桜というマスコミが存在する。
チャンネル桜は、CSデジタル放送「スカイパーフェクTV!」の767チャンネルとして放送している。
著名な保守系論客やブロガーなども参加したり、毎日、自衛隊のニュースを流す、保守系イベントを主催するなど、1日中(再放送もあるけど)保守言論系番組を流しているというチャンネルである。
まだ「マス」というには小さな存在だと思うが、貴重な存在だ。 ただ、財政的にはかなり苦しいらしい。 スカパーを視聴するには、受信機やアンテナ取付工事が必要だが、各チャンネルでキャンペーンを行うことがあり、うまく趣味が合致するなら、格安、あるいは無料で視聴環境を整備することができる(チャンネル桜でもキャンペーンをしている)。 その上で、チャンネル視聴料880円/月(スカパー基本料金410円/月は別)で番組が見れる。 あるいは、住宅環境の都合などでスカパーを視聴できない人でも個人協賛を募っているところもあるので、それでもって応援するという方法もある。
正直、番組を見ていても、セットなどチープなところがあり、苦労が散見される。 貴重な保守系メディアであるから、できれば、広く視聴され、支援されてほしいものだ。
Mar 23, 2005
結局、変わらなかったプロ野球
プロ野球のオープン戦もはじまり、シーズンインに向けて次第に盛り上がりを見せている。
今シーズンオフには、オリックス・近鉄の合併、ダイエー撤退とソフトバンク進出、楽天球団の設立、読売・西武両球団のオーナー交代と、表面的には様々な動きがあった。
が、本当に新しいことは、せいぜい、東北に球団ができたことくらいしかない。
つまり、結局は、球団単独での採算を考えるのではなく、親会社から広告費という形での支援をうけて、赤字を垂れ流すという構造は変わらないということだ(例外は巨人と広島)。
この状態である限り、球団は親会社の広告として、親会社の意向で振り回されることになる。ファンがそこに介在する余地はほとんどない。
そして、それこそが野球の地盤沈下を生んでいることに、親会社達は気づいていない。
唯一、事実上の独立採算制をとる広島こそ、身の丈経営というべきで、その年俸水準こそ、中堅球団の水準というべきだろう。
それだと、最高年俸が下がるから大リーグへの人材流出が防げないという意見もあるかもしれない。
しかし、そもそも大リーグ挑戦は、年俸ではなく「夢」としてチャレンジしているのではないか。だとすれば、年俸を上積みすることで引きとめようとしても、それは限定的な効果しかない。
むしろ、大リーグとの行き来はより自由度をあげるべきだ。
その上で、日本球団を選ぶような「魅力」「夢」を構築するように努力すべきである。
そのためには、親会社依存体質をやめ、ファンと直接向き合う球団独立採算に移行すべきではないだろうか。
Mar 22, 2005
人権擁護法案の根っこ
人権擁護法案について、賛成・反対の議論がWeb上で積み重ねられている。
その論点の一つに、法案で「人権」というのが包括的に定義されている事がある。
確かに、包括的な定義は、法の抜け道を防ぐには有効だ。
だが、言論の自由という民主主義の根幹を成すものに対して、拡大解釈・恣意的運用が可能である包括定義でいいのかという問題がある。
そこで、賛成派と反対派の最大の違いは「人権」という言葉に対する信頼度のような気がする。
反対派は、基本的に人権という言葉を信頼していない。
つまり、人権という言葉が、似非人権団体や左派弁護士によって悪用されてきた歴史を知っているからだ。
それを列挙すれば暇がないが、櫻井よしこ女史の講演会中止事件、小人プロレス事件(*1)、似非人権団体による利権、出版における言葉狩り、手塚漫画などの黒人描写を差別として非難、カルピスマークの廃止、ちびくろサンボ絶版……。
あるいは、産経新聞には、こんな記事(これも人権侵害? 全国弁護士会、次々「勧告」(産経新聞3月19日=Sankei Web)もあった。
「人権」という言葉は、利権として悪用され、政治的主張実現のために悪用されてきた。
だから、反対派は「人権」という言葉での包括定義に反対しているのである。同じように悪用されるのではないかという疑念を拭いきれないからだ。
逆に、賛成派はそうした歴史を知っているのかどうかは別として、「人権」という言葉を信頼しており、「人権侵害」といえば、それは自明なもので、規制されてしかるべきだと思っている。
この溝は深い。
反対派の私からすると、賛成派の「人権」への信頼は楽観にすぎるように思うのだが。
*1……比較的知名度が低いと思うので解説。全日本女子プロレスには長く小人プロレス(ミゼットプロレスと「人権派」の横槍のために改称)を前座試合として行っていたが、身体障害者である小人を見世物にするのは人権侵害だという横槍が入った。そのため、後楽園ホールなどでは長く小人プロレスの試合を行うことはできなかった。 これについて、当の小人プロレスラーは、「自分達はプロレスラーであり、プロレスをしているところをより多くの人に見てもらいたい。これは逆差別だ」という主旨のことを発言していた。
人権擁護法案の根っこ
人権擁護法案について、賛成・反対の議論がWeb上で積み重ねられている。
その論点の一つに、法案で「人権」というのが包括的に定義されている事がある。
確かに、包括的な定義は、法の抜け道を防ぐには有効だ。
だが、言論の自由という民主主義の根幹を成すものに対して、拡大解釈・恣意的運用が可能である包括定義でいいのかという問題がある。
そこで、賛成派と反対派の最大の違いは「人権」という言葉に対する信頼度のような気がする。
反対派は、基本的に人権という言葉を信頼していない。
つまり、人権という言葉が、似非人権団体や左派弁護士によって悪用されてきた歴史を知っているからだ。
それを列挙すれば暇がないが、櫻井よしこ女史の講演会中止事件、小人プロレス事件(*1)、似非人権団体による利権、出版における言葉狩り、手塚漫画などの黒人描写を差別として非難、カルピスマークの廃止、ちびくろサンボ絶版……。
あるいは、産経新聞には、こんな記事(これも人権侵害? 全国弁護士会、次々「勧告」(産経新聞3月19日=Sankei Web)もあった。
「人権」という言葉は、利権として悪用され、政治的主張実現のために悪用されてきた。
だから、反対派は「人権」という言葉での包括定義に反対しているのである。同じように悪用されるのではないかという疑念を拭いきれないからだ。
逆に、賛成派はそうした歴史を知っているのかどうかは別として、「人権」という言葉を信頼しており、「人権侵害」といえば、それは自明なもので、規制されてしかるべきだと思っている。
この溝は深い。
反対派の私からすると、賛成派の「人権」への信頼は楽観にすぎるように思うのだが。
*1……比較的知名度が低いと思うので解説。全日本女子プロレスには長く小人プロレス(ミゼットプロレスと「人権派」の横槍のために改称)を前座試合として行っていたが、身体障害者である小人を見世物にするのは人権侵害だという横槍が入った。そのため、後楽園ホールなどでは長く小人プロレスの試合を行うことはできなかった。 これについて、当の小人プロレスラーは、「自分達はプロレスラーであり、プロレスをしているところをより多くの人に見てもらいたい。これは逆差別だ」という主旨のことを発言していた。
Mar 18, 2005
領空侵犯したかのような誤誘導
韓国防空識別圏に自衛隊機が接近…韓国側発表(読売新聞3月17日=YOMIURI ON-LINE)によれば、韓国軍は竹島付近で航空自衛隊の偵察機1機が韓国の防空識別圏に接近、韓国側が3回警告を行い、自衛隊機は2分後に引き返したと発表した。
なにか、いかにも意図をもって竹島に近づいたかのような印象を与える韓国側の発表だが、日本側の防衛庁発表によれば、日本防空識別圏内を飛行中で、日本の防空識別圏の内側約15kmの空域、竹島からは70km離れ、日本列島に沿うように飛行(=竹島に近づくような飛行ではない)していたという。
大体、竹島と隠岐の中間地点くらいの線であろうか。
この事件、韓国が過敏反応した、もっといってしまうと、いつもの自衛隊の飛行に、わざとこういう反応をして発表したのではないか、と想像する。
というのは、日本と韓国は米国を介した準同盟国で、同陣営軍だ。
自衛隊機も敵味方識別装置を有効にするなどして飛行していたと考えられる。これは、日本側が韓国機は視認できなかったので機種はわからない、としているのに対して、韓国側は早期に自衛隊機がRF-4(F-4ファントムの偵察機型。日本が保有する唯一の戦術偵察機)であると把握していることからも類推される。
準同盟国の非武装機(RF-4は基本的には武装不可)が、自国防空識別圏内を、自国土と並行に飛行していることに、スクランブルをかける。
これは軍事常識として異常ではないだろうか?
また、韓国側の発表では、自衛隊機が、日本側防空識別圏内にあったことは、述べていないようだ。これも考え合わせると、自衛隊機がまるで領空侵犯を意図していたかのようなミスリードを誘い、“日本の脅威”を煽りたてるための行為ではないかと想像させるに十分だろう。
Mar 17, 2005
東武線踏切事故に思う
15日、東武伊勢崎線竹ノ塚駅付近の手動踏切で、係員が誤って遮断機を開けてしまい4人が死傷するという事故が発生した。
これに関する報道について、操作について内規違反があったと報道されている。
しかし、接近警告(「電車運行連動盤」というらしい)を無視して遮断機をあげたり、警報音を切っていたことなどについて、この係員を責めるのは酷というものだろう(責任がない、と言っているわけではない。心情的な問題)。
いずれも、地域住民のために、少しでも開ける時間を長くしたい、音を静かにしたいという“親切心”が仇となったのだろうことは、容易に想像がつくからだ。
実際、「開かずの踏切」状態になっている時に、長時間待たされている一般人が、詰め所の係員に詰め寄るというようなシーンが度々あったという報道もされている。
また、早期に高架化すべきだったという論もあるが、それも物事を一面的に捉えすぎてはいないか。
高架化に伴う莫大な工事費はおいそれと捻出できるものではない。特にこの竹ノ塚では、車庫があるため、大規模な工事となる。東武鉄道は3期前には単独・連結とも最終利益が赤字となり、グループでリストラを行ったような財務状況だ。
公益性があるとはいえ(だからこそおいそれと赤字路線を廃止できないわけだが)、鉄道会社は営利企業であり株式会社。健全な経営を圧迫してまで工事するというわけにもいくまい。
特に、高架化では「ここだけ」を高架にすることはできず、前後の区間を含めた工事が必要となる。そうなると、小田急電鉄の高架化工事に住民側が訴訟をおこしたように、必ずしも住民の賛成が得られるとも限らない。
つまるところ、この事故は一係員や東武鉄道だけの問題にするのは矮小化ではないだろうか。 根本的な問題は東京という都市の密集度が飽和状態にあり、都市機能不全を起こしているという広い文脈でとらえるべきだろう。 ミクロな視点からだけでなく、マクロな視点から問題解決にとりくまなくては、この踏切での次の事故は防げたとしても、別の場所で事故がおきるだけではないだろうか。
Mar 16, 2005
今日の産経新聞
今日は産経新聞にいい記事がいくつもあったので、ピックアップしてみる。
■【主張】人権擁護法案 疑念は払拭されていない(産経新聞3月16日)
・憲法違反の疑いがある法案の本体に手をつけない部分修正は筋違いだ。
・あいまいな定義によって、恣意(しい)的な解釈がまかり通る恐れがあることだ。憲法で保障されている国民一人一人の「言論、出版その他一切の表現の自由」が侵害されかねない。
・裁判所の令状なしに捜査・押収を可能とする手続きは果たして、適正か。
・人権委とその下部組織の人権擁護委員(二万人以内)に国籍条項がない
問題点を的確に指摘し、「自民党内で浮上した修正案は、前記の人権擁護委員に、日本国籍を持つ者に限るとの国籍条項を新たに盛り込む内容だ。しかし、これだけでは問題の根幹は何も変わらない」と小手先の修正を批判。
自民党の与謝野馨政調会長が「疑念が払拭(ふっしょく)されない限り、法案は提出させない」と明言しているということで、自民党の“良識派”には踏ん張ってもらいたい。
■韓国マスコミ「竹島問題」連日報道 対日強硬論扇動 一方的報道の独り相撲(産経新聞3月16日)
・(韓国)マスコミは島根県での「竹島の日」制定の動きとそれに対する韓国内の抗議や反対の動きを連日、大々的に報じ、対日強硬論をあおっている。
・韓国マスコミの一方的な報道による独り相撲の印象が強い。
・国を代表する大使が問われてその国の公式見解を述べることさえ「妄言」で許せないというのだ。
・マスコミ主導で反日が高まると政府は世論をなだめるよりそれに影響され、日本非難に乗り出すというのが韓国の対日外交のパターンだ。今回も「韓国が実効支配しているのだから騒がない方が得策」(盧武鉉大統領)という基本姿勢はどこかへいってしまった。
・韓国マスコミはこの問題で日本の世論が静かなことにどこか失望感(?)をにじませている。日本に向かって絶えず「独島は韓国のモノだぞ!」と叫ぶことによって「日本何するものぞ」という愛国心と民族主義感情を満足させたい韓国としては、日本世論がもっと騒がしくなることを期待しているようでもある。
全国新聞としては突出した「韓国観」である。
だが、韓流ブームやら相手におもねるだけの友好やらに惑わされない、冷静な分析でもある。
なにせ、相手は島根県議会訪問のソウル市議、カッター出し取り押さえられる(産経新聞3月16日=Sankei Web)というような行為をする輩だ。
いくら「竹島の日」条例案に反対といっても、民主主義を標榜する国家の議員が他国で行うような行為ではない。
■スキー場で一時不明の韓国人、捜索費の支払い拒否(産経新聞3月16日)
ついに、遭難した韓国人の捜索費支払拒否問題が全国紙でも取り上げられた。
安易な妥協をせず、原則を押し通してほしい。
この人物を、韓国人の典型である、などと断じるつもりはない。
ないのだが、今日の産経新聞(Sankei Web)にのっている韓国絡みの記事を並べただけで、この有様……。
日韓はお互いに無理に友好する必要はないのだろう。
必要な時、必要な事にだけ、つきあえばいいのだ。
Mar 15, 2005
人権擁護法案の何が問題なのか
Blog界隈で反対運動がもりあがっている人権擁護法案について。
何が問題かといわれると、問題だらけとしかコメントのしようがない。
確かに、人権を擁護するという目的は文句のつけようがなく、これが理想通り運用されれば問題はないだろう。
しかし、法に穴が大きく、悪意をもって運用されれば、言論弾圧国家──民主主義の自殺法となることが明白なことが問題なのだ。
よって、「うまく運用されれば」という議論はここでは行わない。
なにが法の穴なのかを考えてみたい。
■「歯止め」がない
人権委員会は「公権力の行使」が可能である。
「事件の関係者に出頭を求め、質問すること」「文書その他の物件の所持人に対し、その提出を求め、又は提出された文書その他の物件を留め置くこと」「当該人権侵害等が現に行われ、又は行われた疑いがあると認める場所に立ち入り、文書その他の物件を検査し、又は関係者に質問すること」ができる。
これらは、従わなければ「三十万円以下の過料」という強制権を伴うものである。
にもかかわらず、これは、人権委員会は独自の判断で、人権侵害に対する告発(実質的な補完組織である人権擁護委員によるものを含む)・認定・強制が可能である。
同じ組織の中でできるのだから、そこに歯止めはない。
かといって、法務大臣は管理監督権限がなく、委員の身分保障条項もあるため解任もリコールもできない。
一端、任命されてしまえば、仮に「暴走」しても、それを止めることはできないのだ。
■救済(対抗)措置がない
人権委員会の活動に対して、救済(対抗)措置がない。
■法的安定性を欠く
法的安定性とは「どのような行動がどのような法的効果と結びつくかが、安定していて、予見可能な状態」のことである。
しかし、今回の法案で禁止される「人権侵害」とは、非常に範囲が広く曖昧模糊としている。
この法案では、人権は「人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向」のことをいい、「何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。」とされており、人権侵害全てが禁止されている。
特に問題なのは「その他人権侵害」とされている点であり、つまるところ、人権委員が人権侵害と認定さえすれば、なんでも人権侵害になりうるということだ。
例えば「黒人は肌の色が黒い」「日本人は働きものだ(=他民族は怠け者だ=人権侵害)」「進化論を否定しているのは非科学的だ」「男性は女性より運動能力が優れている」「「政治家は無能だ」「大阪人はずうずうしい」「障害者用に特別に補助をつけて普通学級へと通わせるべきだ(=障害者以外への差別=人権侵害)」「おたふく風邪で顔が腫れて、おかめみたいだ」「フィギュア萌え族は犯罪予備軍だ」といった言動ですら、人権侵害であると認定することが可能だということである。
なにが人権侵害となるのかが、予見できない状態は、法的安定性を欠く。
つまり、そこに恣意的運用も可能な「穴」が生まれる。
結局、直接、“告発”されなくとも、言論は著しく萎縮することに繋がる。
本来、公権力の行使が定める法では、限定列挙で、その対象を示すべきである。 例えば、盗聴法と揶揄され、激しい批判のある「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」では、別表という形で対象となる罪が条文で列挙されている。その上で「数人の共謀」「実行、準備又は証拠隠滅等の事後措置に関する謀議、指示その他の相互連絡その他当該犯罪の実行に関連する事項を内容とする通信」「他の方法によっては、犯人を特定し、又は犯行の状況若しくは内容を明らかにすることが著しく困難であるとき」というように限定され、何が対象になるのかという予見を明らかにしている。 その上で、通信傍受を希望・実行する検察官又は司法警察員と別組織である裁判官の傍受令状が必要(それも期間は通算三十日以内)であり、また、実行に際しても「通信手段の傍受の実施をする部分を管理する者又はこれに代わるべき者を立ち会わせなければならない。これらの者を立ち会わせることができないときは、地方公共団体の職員を立ち会わせなければならない」と立会い人を必須とすることで、「歯止め」をかけている。 この通信傍受法の時は、あれだけ大キャンペーンがあった。未だに反対運動もある。であるのに、その法よりもっと公権力の濫用に繋がりかねない法案に、なぜ沈黙しているのか。
戦前、治安維持法という“悪法”とされるものがあった。
この法律は、昭和16年の改正で非常に広い「対象」をもつことになった。
例えば「国体を変革することを目的として結社を組織する準備を支援する目的で結成された結社の目的遂行のためになる、全ての行為を行ったもの(結社外の人間を含む)」というのが取り締まれるのである。もう、ほとんど言いがかりでOKの範囲だ。
しかも、この専門部隊といでもいうべき特別高等警察は内務省警保局保安課に所属し、独立性が高かったことも災いして……どうなったかは皆さん、ご承知の通り。
そして、広い対象を取り締まれて、独立性の高い組織による公権力の行使というのは、まさに今回の法案に通じないだろうか?
それこそ、この法案の「穴」の大きさを物語っている。
人権擁護法案の何が問題なのか
Blog界隈で反対運動がもりあがっている人権擁護法案について。
何が問題かといわれると、問題だらけとしかコメントのしようがない。
確かに、人権を擁護するという目的は文句のつけようがなく、これが理想通り運用されれば問題はないだろう。
しかし、法に穴が大きく、悪意をもって運用されれば、言論弾圧国家──民主主義の自殺法となることが明白なことが問題なのだ。
よって、「うまく運用されれば」という議論はここでは行わない。
なにが法の穴なのかを考えてみたい。
■「歯止め」がない
人権委員会は「公権力の行使」が可能である。
「事件の関係者に出頭を求め、質問すること」「文書その他の物件の所持人に対し、その提出を求め、又は提出された文書その他の物件を留め置くこと」「当該人権侵害等が現に行われ、又は行われた疑いがあると認める場所に立ち入り、文書その他の物件を検査し、又は関係者に質問すること」ができる。
これらは、従わなければ「三十万円以下の過料」という強制権を伴うものである。
にもかかわらず、これは、人権委員会は独自の判断で、人権侵害に対する告発(実質的な補完組織である人権擁護委員によるものを含む)・認定・強制が可能である。
同じ組織の中でできるのだから、そこに歯止めはない。
かといって、法務大臣は管理監督権限がなく、委員の身分保障条項もあるため解任もリコールもできない。
一端、任命されてしまえば、仮に「暴走」しても、それを止めることはできないのだ。
■救済(対抗)措置がない
人権委員会の活動に対して、救済(対抗)措置がない。
■法的安定性を欠く
法的安定性とは「どのような行動がどのような法的効果と結びつくかが、安定していて、予見可能な状態」のことである。
しかし、今回の法案で禁止される「人権侵害」とは、非常に範囲が広く曖昧模糊としている。
この法案では、人権は「人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向」のことをいい、「何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。」とされており、人権侵害全てが禁止されている。
特に問題なのは「その他人権侵害」とされている点であり、つまるところ、人権委員が人権侵害と認定さえすれば、なんでも人権侵害になりうるということだ。
例えば「黒人は肌の色が黒い」「日本人は働きものだ(=他民族は怠け者だ=人権侵害)」「進化論を否定しているのは非科学的だ」「男性は女性より運動能力が優れている」「「政治家は無能だ」「大阪人はずうずうしい」「障害者用に特別に補助をつけて普通学級へと通わせるべきだ(=障害者以外への差別=人権侵害)」「おたふく風邪で顔が腫れて、おかめみたいだ」「フィギュア萌え族は犯罪予備軍だ」といった言動ですら、人権侵害であると認定することが可能だということである。
なにが人権侵害となるのかが、予見できない状態は、法的安定性を欠く。
つまり、そこに恣意的運用も可能な「穴」が生まれる。
結局、直接、“告発”されなくとも、言論は著しく萎縮することに繋がる。
本来、公権力の行使が定める法では、限定列挙で、その対象を示すべきである。 例えば、盗聴法と揶揄され、激しい批判のある「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」では、別表という形で対象となる罪が条文で列挙されている。その上で「数人の共謀」「実行、準備又は証拠隠滅等の事後措置に関する謀議、指示その他の相互連絡その他当該犯罪の実行に関連する事項を内容とする通信」「他の方法によっては、犯人を特定し、又は犯行の状況若しくは内容を明らかにすることが著しく困難であるとき」というように限定され、何が対象になるのかという予見を明らかにしている。 その上で、通信傍受を希望・実行する検察官又は司法警察員と別組織である裁判官の傍受令状が必要(それも期間は通算三十日以内)であり、また、実行に際しても「通信手段の傍受の実施をする部分を管理する者又はこれに代わるべき者を立ち会わせなければならない。これらの者を立ち会わせることができないときは、地方公共団体の職員を立ち会わせなければならない」と立会い人を必須とすることで、「歯止め」をかけている。 この通信傍受法の時は、あれだけ大キャンペーンがあった。未だに反対運動もある。であるのに、その法よりもっと公権力の濫用に繋がりかねない法案に、なぜ沈黙しているのか。
戦前、治安維持法という“悪法”とされるものがあった。
この法律は、昭和16年の改正で非常に広い「対象」をもつことになった。
例えば「国体を変革することを目的として結社を組織する準備を支援する目的で結成された結社の目的遂行のためになる、全ての行為を行ったもの(結社外の人間を含む)」というのが取り締まれるのである。もう、ほとんど言いがかりでOKの範囲だ。
しかも、この専門部隊といでもいうべき特別高等警察は内務省警保局保安課に所属し、独立性が高かったことも災いして……どうなったかは皆さん、ご承知の通り。
そして、広い対象を取り締まれて、独立性の高い組織による公権力の行使というのは、まさに今回の法案に通じないだろうか?
それこそ、この法案の「穴」の大きさを物語っている。
Mar 14, 2005
人権擁護法案に対抗するには
人権擁護法案の欠陥が明らかになり、Web上はもちろん、産経新聞だけでなく、毎日新聞もメディア規制以外の方向からの批判を展開しはじめた。
自民党法務部会での了承は一端、見送られたものの、未だ予断を許さない状況であり、今後の展開を注視しつつ、反対活動を繰り広げていく必要があるだろう。
一方、自衛策を考えておく必要もあるかもしれない。
例えば、海外在住者へ配信し、その人間が海外サーバにUPするという形をとった場合はどうだろうか?
あるいは、メディア規制が凍結されるのであれば、“メディア”の定義にそうよう、NPOを立ち上げるという手もあるかもしれない。“メディアであるNPO”の報道・コラムという形で、各Bloggerが“連載”を持つという形だ。
悪法もまた法なり、という言葉がある。
法は守ろう。
だが、ネットにより情報分野における国境の垣根は著しく低くなっており、国内法で全て取り締まれると思ったら大きな間違いであることは、中共を見ても一目瞭然。
“庶民”のしぶとさを舐めたらあかんぜよ。
Mar 03, 2005
日本と中国の文化の差
くず称賛と五島市を訴える 倭寇の墓整備で中国学生(共同通信3月2日=goo news)という記事があるのだが、これだけではわかりにくい。倭寇頭目の墓碑めぐり、中国で日本側関係者に民事訴訟(読売新聞3月2日=YOMIURI ON-LINE=goo news)までくると、概要がつかめる。
16世紀、倭寇の頭目であった王直の故郷、安徽省黄山に、長崎県福江市(現・五島市)の関係者が墓碑を整備したことに、南京の大学院生が損害賠償などを求める民事訴訟を起こしたというものだ。
彼ら曰く「民族の裏切り者の碑を整備し、民族感情を傷つけた」「処刑された海賊の墓碑を日本人が整備するのは許しがたい」としているのだが、墓碑を整備した理由は「日中貿易開拓で果たした役割に感謝するため」であり、別に中国を攻撃しているわけではない。
歴史的評価が分かれるとこだが、その“光”の部分にスポットをあてて、歴史上の人物を称えただけのことだ。
“民族の裏切り者”というのが、「倭寇=日本人海賊に協力したこと」(これ自体、認識が間違っているが)をさしているのか、「中国人なのに中国人に海賊行為を行ったこと」をさしているのか不明だが、今回に先立つ1月末には、南京の大学教員が「処刑された海賊の墓碑を日本人が整備するのは許しがたい」として故意に傷つけているという。
こういった、歴史上の人物の墓碑をも攻撃するような行為は、いくら反感があっても、日本では考えがたい。
死者に鞭うつという言葉は、日本ではネガティブな言葉として使われるのだが、中国ではそうではないのだろう(そういえば、元々、史書からきた言葉であった)。
こうした事件一つとってみても、日中間の文化が隔絶していることがわかる。
共通の見解をもとうというほうが間違っているのだろう。
Mar 02, 2005
盧韓国大統領の“妄言”
韓国・盧大統領が三・一独立運動記念式典で演説した。
・日本の植民地支配、韓国大統領が個人賠償に初めて言及(読売新聞3月1日=YOMIURI ON-LINE)
・日本は「心から謝罪」を 式典演説で盧武鉉大統領(産経新聞3月1日=Sankei Web)
・韓国大統領:日本の「賠償」検討要請 3・1独立運動演説(毎日新聞3月1日=MSN-Mainichi INTERACTIVE)
・韓国大統領、歴史問題で日本批判 「謝罪と賠償を」(朝日新聞3月1日=asahi.com)
・日本は「心から謝罪」を 3・1式典で盧大統領(共同通信3月1日=Yahoo NEWS)
三・一独立運動記念式典という場であり、国内向けという点を割り引いても、滅茶苦茶な演説内容だ。
「謝罪」は村山首相をはじめ、何度も行っている。彼らは何をもって「真の自己反省」というのか。なお、日本は韓国とは異なり、言論の自由が(一応)保障されているので、韓国に対する批判言動を封殺することはできない。
「過去の問題を外交的な争点にしない」といいながら「日本支配時代に数千、数万倍の苦痛を受けた我が国民の怒りを理解しなければならない」とする、同じ演説内での矛盾。
日韓条約で締結された(韓国の)個人補償放棄については、当時の朴政権を批判しつつも、さすがに一国の大統領として条約の見直しとはいえなかったらしい。だが、「日本は過去の真実を究明し、心から謝罪し、賠償することがあれば賠償し、そして和解しなければならない。」「韓国政府は補償に向けて努力する」として、条約とは別枠での補償・賠償を要求する。
「日本人拉致問題について日本国民の怒りを十分理解する」としながら「日本も、強制徴用から慰安婦問題まで日本支配時代に数千、数万倍の苦痛を受けた我が国民の怒りを理解しなければならない」と、明らかな犯罪である拉致問題と、(日本国内法として日本本土と同様に適用されたにすぎない)強制徴用と(民間売春婦問題にすぎない)従軍慰安婦を同列におくという暴挙。
もう論旨が理解不能だ。
ただ、とにかく反日で、あわよくば金をとろうという姿勢しか見えない。
ところで、今回の報道で目に付いた点をいくつか。
さすがに朝日新聞も「強制連行」と書かずに「強制徴用と書いている。
毎日新聞は韓国を持ち上げているつもりだろうが「フランスがナチス・ドイツに協力した自国民を処分する一方でドイツとは友好関係を回復した例を挙げ、「わが国民もフランスのように寛大な隣国として日本とともに歩みたい」と自制と和解を呼びかけた。」としているのだが、韓国国内の対日協力者を処分しろ、といっているのだろうか?(実際にそういう法案がとおっているのだが)。
また、毎日新聞は(日韓条約の)「交渉過程では戦争国としての「賠償」を要求する韓国と、植民地支配の「補償」に代わる経済協力に応じるとする日本が対立。事実上、日本の主張が通ったため、韓国内では、日韓条約は謝罪と補償が不十分として再交渉を求める世論が高まっている。」としている。国家間のお金のやりとりについてはそのとおりだが、それとは別に日本は個人補償を提案していたのを、韓国が蹴った(国家として一括にお金をうけとった)という事実を隠蔽しようとしているのか。
日本は、なにも頭を下げ、事実を曲げ、法理を無視してまで、韓国と“お付き合い”することはない。 盧大統領の演説にある「日本も法的問題の以前に人類社会の普遍的倫理、隣国間の信頼問題との認識を持ち積極姿勢を示さなければならない」などという言葉は、そっくり韓国にお返しする。
Mar 01, 2005
論点ずらし
地方公務員の政治活動、自民が罰則検討(朝日新聞2月28日=asahi.com)ということで、自民党は地方公務員の政治的行為に罰則を設ける方針を決定した。
これに対して朝日新聞は「民主党の支持基盤である官公労を牽制(けんせい)する狙いがある」と決め付けているが、これはおかしい。 元々、地方公務員の政治活動は制限されている。にもかかわらず、国家公務員と違って、今まで罰則がなかっただけのことである。 しかし、山梨県教組が組織的に政治資金を集めるなどの問題が発覚したために、改めて罰則規定をつくらなくてはならないという方針を打ち出した、ということだ。
つまり、この問題は「地方公務員法に違反して政治活動をするものがいるから、罰則をもうける」という至極当たり前の論理に基づいている。 確かに、自民党に「民主党の支持基盤への牽制」という意図はあろう。だが、それは「法律に違反して民主党支持の政治活動をすることへの牽制」だ。民主党への支持そのものへの牽制ではない。 そもそも、法に違反しても罰則がないことが問題になっており、かつ、実際に法に触れるような行為が出てきているため、抑止として罰則をもりこもうというものだ。
朝日新聞の記事は、必要以上に自民党の方針を矮小化し、読者をミスリードしようというものだ。
